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平安時代の女性の美人の基準と条件5選|美人と有名な史実上の人物も

更新:2020.02.10

平安時代の美人の顔の条件はどのようなものだったのでしょうか。昔と現代では美人の基準は大きく違いますよね。女性はいつの時代も美しくありたい思うものですよ。 平安時代の美人がやっていた化粧や有名な史実上の人物も紹介していきますので、参考にしてみてください。

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平安時代の女性の美人の基準と条件5選

平安時代の女性の美人の基準と条件①一重で切れ長な目

平安時代の美人の基準と条件の1つ目は、一重で切れ長な目です。平安時代の浮世絵に描かれている写真のような顔です。一重で切れ長な目が特徴ですよね。それが平安時代の当時の理想だといわれていました。平安時代は細い線のような目が好まれており、美人な女性=一重で切れ長な目を持つとされていたようです。

現代とは、美人の目の基準や条件が全く違いますね。現代は二重でくりっとした目が好まれているため、化粧をして少しでも目を大きく見せようとする女性がほとんどです。また、目の整形する女性も多いですよね。しかし、平安時代の美人の基準は顔のつくりよりも肌の白さや肉付きの良さが重視されていたと言われています。

平安時代の女性の美人の基準と条件②小ぶりでツンと尖った鼻先とおちょぼ口

平安時代の美人の基準と条件の2つ目は、小ぶりでツンと尖った鼻先とおちょぼ口です。鼻先がツンと尖った鼻が気品がある鼻だと好まれており、美人に求められる鼻だと言われていました。鼻先がツンと尖った鼻が小さく控えめでおしとやかな印象を与え、人気があったようです。鼻っ柱の強そうな鼻は好まれなかったようです。

また、平安時代では小さめのおちょぼ口も好まれていたようです。平安時代の女性が描写される絵を見ると、唇の中央部分に口紅を塗る女性が多いですよね。控えめに口紅を塗っていて、唇全体に口紅を塗っている女性は登場しません。そういった自己主張をし過ぎない控えめな女性が、美人の条件であると考えられていたようです。

平安時代の女性の美人の基準と条件③色白でふくよかで柔らかそうな頬

平安時代の美人の基準と条件の4つ目は、色白でふっくらとした顔です。ふっくらとした顔の中でも、頬の下の部分が膨らんでいる頬をしもぶくれといいます。これが平安美人の条件であるとされていました。つまり、おたふくのような肉付きの良い頬が平安美人の条件とされていたということですね。現代では理解しがたいですね。

また、ぽっちゃり体型も好まれていました。平安時代に描かれていた絵画を見ると、ぽっちゃり体型でふくよかな体つきをした女性がほとんどです。平安時代は食べ物が豊かな時代ではなかったため、栄養が摂れていて、元気な子供を産んでくれる女性が好まれたようです。よって、ガリガリの女性は美人とは認められませんでした。


ふくよかな女性が好まれていたというのも、現代の女性からすると考えにくいですよね。現代では、痩せている方が美しいというイメージがあり、ダイエットをする女性も多いですよね。これは、現代人が食べ物に困る生活ではないということも大きく影響していますね。

平安時代の女性の美人の基準と条件④長く鮮やかな黒髪

平安時代の美人の条件の4つ目は、長くて鮮やかなきれいな黒髪です。長い黒髪のロングヘアーの女性が、美女の条件とされていたようです。平安時代の絵画を見ても、長くてきれいな黒髪の女性は多く見られますよね。また、ほとんどの女性が身の丈ほどの髪の長さがあり、髪の毛を切るのは出家したときだけだったそうです。

黒髪のさらさらなロングヘアーは、夜に月明りの下でキレイに見えていたといわれています。女性の長い黒髪は、男性みんなを虜にする効果があったようです。現代でも、さらさらな黒髪のロングヘアーを好む男性も多いですよね。今も昔も変わらない女性の魅力と言えますね。ちなみに、洗髪は、米のとぎ汁で行っていたそうです。

平安時代の女性の美人の基準と条件⑤奥ゆかしく控えめな性格/教養

平安時代の美人の条件の5つ目は、奥ゆかしく控えめな性格と教養があることです。平安時代の女性は控えめであることが美人の条件でした。控えめな性格という美人の条件は、外見の雰囲気にも現れるものですよね。教養があるポイントとしては和歌の上手さがとても重要で、人間性や情緒の豊かさをはかる基準になっていました。

また、平安時代の美人女性の条件に占める割合の中では、教養があるということがとても高かったようです。自慢話などの話が好きな女性もいますが、そういう女性は品がないと言われていました。平安時代では情緒ある奥ゆかしい女性が美人の条件とされていたことが分かりますね。現代にも通じる美人な人の条件と同じですよね。

平安時代の女性は、御簾(みす)と呼ばれるきめの細かいすだれ越しに話をしていました。なので家族以外の人間に容姿を見せる風習がありませんでした。よって、会話の上手さや知識の豊富さなども教養がある女性のポイントとされていました。最後に、美人顔の条件に関する記事を載せておきますので、参考にしてみてください。

平安時代に美人と言われていた史実上の有名な人物3選


平安時代の美人有名人①小野小町

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#随心院 #京都 #小野小町 #秋限定

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平安時代の美人有名人の一人目は、小野小町です。小野小町は、世界三大美女の一人ですよね。楊貴妃、クレオパトラとともに並べられています。また、日本を代表する美女で歌人でもあります。百人一首にも小野小町の歌が使われていますよね。また、小町集という歌集もあって、有名な古今和歌集にも多くの歌が残されています。

平安時代の恋愛は、まず男女で歌のやりとりを何度もします。その後に男性の夜這いを許すというのが一般的だったそうです。小野小町はトップ歌人ですのでモテますよね。また、そのモテっぷりをまた歌にして、そのモテ具合をブランドにしていたため、貫禄、気品、高嶺の雰囲気全開でモテオーラ溢れまくりだったようです。

平安時代の美人有名人②紫式部

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平安時代の美人有名人2人目は、紫式部です。紫式部が美人と言われている理由は、2つあります。平安時代の権力者だった藤原道長に、とても可愛がられていたという話が残っているからというのが1つです。このことから、紫式部は平安時代の美人の条件の1つである奥ゆかしく控えめな性格の持ち主であったと想像できますね。

また、紫式部はあの有名な「源氏物語」を書いた人で有名ですよね。これが紫式部が美人と言われている理由の2つ目です。恋愛小説の決定版とも言える「源氏物語」を書いたことが教養も持ち備えた人物ということです。よって、紫式部は美人の条件の中でも大切な教養と奥ゆかしく控えめな性格を兼ね備えている女性といえます。

平安時代の美人有名人③清少納言

平安時代の美人有名人三人目は、清少納言です。清少納言は名随筆として名高い「枕草子」を書いた女性です。清少納言の実家は文学的にとても恵まれた家で、父親や祖父も有名な歌人でした。こうした家族のもと、清少納言は高い教育を受けていたと言われています。そのことからも教養力の高い女性だということが分かりますね。

ちなみに、清少納言という名前は、「清=清原家出身」「少納言=身内に少納言という位の者がいた」という意味があるそうです。最後に、戦国時代の日本の美女の条件についての記事も載せておきますので、参考にしてみてください。評判だった姫ランキングもあり、おもしろいですよ。


平安時代の美人がやっていた化粧方法は?

平安時代の美人顔の昔の化粧方法①白粉

平安時代の美人顔の昔の化粧方法の1つは、白粉です。平安時代は、昼間でも建物内が暗かったようで、その暗い建物の中でも目立つような化粧が求められていたようです。ですので、平安時代の女性はおしろい(白粉)と呼ばれる極度に白い化粧をしていたと言われています。

現代では、舞台俳優が舞台化粧で使用したり、芸者や舞妓が化粧に使用したりしています。また、ファンデーションの肌に対する負担を低減させる目的で、白粉だけを使用したベースメイクをする人も多いようです。現代でもあらゆる場面で白粉は使われていますね。

平安時代の美人顔の昔の化粧方法②引眉

平安時代の美人顔の昔の化粧方法の2つ目は、引眉です。引眉とは、まず、元々の眉毛を抜いたり剃ったりして失くします。その後に元の位置よりも高いところに横長の円の形をした眉毛を描きます。これが引眉の化粧方法です。上記の写真のような眉毛の形から、麻呂(まろ)などともいわれています。

平安時代では、宮殿は壮大化により暗く、装飾衣服も華麗でした。ですので男女ともに眉を抜き露出部を白粉で塗りつぶして、引眉にしていたそうです。最近では、このような麻呂の眉毛は流行りではないですよね。時代によって眉毛の形の流行りもあるようです。また、眉毛は顔のイメージを大きく変えるものなので大切ですよね。

平安時代の美人顔の昔の化粧方法③お歯黒

平安時代の美人顔の昔の化粧方法3つ目は、お歯黒です。お歯黒は、歯を黒く染める化粧方法だそうです。平安時代にお歯黒をする理由としては、漆黒が美しい色とみなされていたからだとされています。また、平安時代の基本的な化粧は、なまめかしいものが好まれていたようですね。

現代では、キレイな白い歯を目指す方がほとんどですよね。ホワイトニングなども人気になっていて、歯にお金をかける人も少なくありません。特に芸能人は歯が命ともいわれていますよね。また、歯が黒くくすんでいる人の印象は逆に悪いので、歯を黒く染める化粧をする人はいないですね。

現代に残る平安時代の美人女性を再現したものは?

平安時代の美人女性を再現したもの「能面」

平安時代の美人女性を再現したものの中で、現代に残るものに「能面」がありますよね。現代に残る能面は、能楽や一部の神楽などで使われている仮面です。ほかにも、伎楽面(ぎがくめん)や舞楽の仮面などの影響を受けているようです。

また、能面は、演目や役柄に応じて使う面が細かく分けられているようです。大きく分けると、男・女・老人(翁・尉)・鬼神・怨霊があります。女は小面(こおもて)といって一般的な若い女性の面です。上記の写真のような白塗り・引眉でお歯黒をつけている能面となります。

平安時代の美人を再現したもの「能楽」

現代に残る平安時代の美人女性を再現した「能面」を使って行うものに、「能楽」があります。この「能楽」について少し説明します。能楽は、日本の伝統芸能であり、能と狂言とを含む総称だといわれています。また、「能楽」は重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されているようです。

能楽は、面をかぶって行うものなので、顔の動きで感情を表すことができません。また、セリフもありませんので、登場人物の感情の起伏を表現し、能面に表情を与えるのは、能楽師の身体の演技に全てかかっているといわれています。「能楽」は、とても奥深いものですね。

平安時代の美人女性の条件は現代と大きく異なる

平安時代の美人女性の条件や化粧方法などはどうでしたか?意外と知らないことも多かったのではないでしょうか。現代でも平安時代の美女の顔は、「能面」を使った「能楽」などで親しまれていますね。また、身近で言うと雛人形でも平安時代の美女を見る機会はありますよね。

平安時代の美人の顔の基準と条件は現代と大きく違いますよね。しかし、教養や奥ゆかしい性格など、どの時代も好まれるものもあります。こうして、時代のことを知るのも大切ですので、これを機に調べてみるのもおもしろいかもしれません。

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