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戦国時代の日本の美女の条件5選|美人と評判だった姫ランキングも

更新:2020.02.12

戦国時代は、日本の歴史上最も戦乱が頻発した時代でした。そんな中、姫と呼ばれる女性たちが、美女と呼ばれる条件は、見た目の美しさだけではありませんでした。戦国時代の美女の条件とあわせて、評判だった姫たちを、ランキング順にご紹介します。

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戦国時代の日本の美女の条件5選

戦国時代の日本の美女の条件①美貌

戦国時代の日本の美女の条件の1つ目は、なんといっても美貌です。評判となるような美しさを持っていることは、美女の必須条件ですね。しかし、人の美しさの基準は、時代の流れとともに変わります。

戦国時代では、ふっくらとした体型と、うりざね顔が美しいとされていました。切れ長の一重と、長く黒い髪があれば文句なしですね。また、当時はお歯黒をつけることも、必須でした。現代人がすっぴんで街を歩けないように、日本の戦国時代の美女も、お歯黒なしでは人前に出られなかったのでしょう。

戦国時代の日本の美女の条件②教養

戦国時代の日本の美女の条件の2つ目は、教養です。戦国時代は、女性の地位が高い時代です。戦国時代の女性は、武将のパートナーとして家を支え、戦時には城代として領地の管理を行う必要がありました。「礼法・歌学・茶道・書道・芸事」などは基本として結婚前に修めていたのです。

ただ美貌に優れただけでは、美女としては評判にはなりません。緊急時には、敵味方に分かれる、実家と嫁ぎ先の交渉を行えるだけの教養が必要でした。政治力や外交力をふるって、「お家」を守ってこその美女だったのです。

戦国時代の日本の美女の条件③強さ

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戦国時代の日本の美女の条件の3つ目は、強さです。戦国の世に生まれた姫は、政治ための重要な道具でした。政略結婚はもちろんのこと、人質にだされるのも当たり前、嫁いだあとも嫁ぎ先の内部事情を探る、スパイのような役割を果たすこともありました。

日本の歴史に名を残す戦国の美女たちも、平穏な人生を送った人は誰一人としていません。精神的に強くなければ、生き残ることもできなかったのです。また、武力的な強さでもって、名前を残した美女もかなりいます。女性といえども、弓や薙刀をたしなみ、戦場へと赴いた美女も意外と多いのです。

戦国時代の日本の美女の条件④サポート力

戦国時代の日本の美女の条件の4つ目は、サポート力です。武将が負けると、女性の運命も一蓮托生となることが多かった時代です。家族や夫となる男性を、どれだけサポートできるかも、美女の条件の一つと言えます。


女性のサポート力の向かう先は、いかに血を絶やさず、家を守っていくかにあります。生まれた子どもに、教育を施すために手をまわし、側室探しまでも自ら行うほどでした。家の繋がりを強化するという意味と、血を継ぐ子どもの数を増やすためです。武将といえども、妻に無断で側室をとることはできませんでした。

戦国時代の日本の美女の条件⑤生き様

戦国時代の日本の美女の条件の4つ目は、生き様です。凛々しく、潔く生き抜いて死んでいった女性ほど、後世に美女として伝えられています。優雅でおしとやかな姫よりも、活動的で、誰からも一目おかれるほどの業績が必要です。

ときに武器を手にして戦場に出たり、戦う術がなくても、夫とともに自害する道を選んだりした美女は、たくさんいます。戦国時代の美女のハードルは、現代以上に高いものだったんですね。

凛々しさを備えた美女は、戦国時代の存在だけではありません。現代にも美女はいますが、なかには「残念美人」と称される女性もいます。美人なのに残念と評されてしまうのは何故なのか?こちらの記事で確認してみませんか。

戦国時代の美女を再現したイラスト3選

戦国時代の美女を再現したコスプレ①打ち掛けで再現

戦国時代の美女を再現したコスプレの1つ目は、打ち掛けで再現したものです。当時の姫の衣装は、小袖の上に打ち掛けを羽織るというものでした。姫が着るだけに豪華な意匠のものが多かったようです。この時代に発展したのが、桃山小袖とよばれるもので、小袖を表に出して着るという変化をもたらしました。

戦国時代の美女を再現したコスプレ②戦装束で再現

戦国時代の美女を再現したコスプレの2つ目は、戦装束で再現したものです。武器を片手に戦場で戦う姫なんて、お話かゲームの中だけかと思っていましたが、史実においても存在していました。若干16歳で水軍を率いた姫や、謀反を起こした兵を自ら切り捨てた姫など、さまざまです。さすが乱世、女性の強さが桁違いです

戦国時代の美女を再現したコスプレ③武将と一緒に再現


戦国時代の美女を再現したコスプレの3つ目は、武将と一緒に再現したものです。姫は武将の良きパートナーとなるよう教育されています。平穏なときでも、戦の最中でも、常に隣にあって支え合ってきたんですね。たとえ政略結婚が多くても、ベストを尽くす姫の、しなやかな強さが感じられます。

姫じゃなくてもいいからコスプレに挑戦してみたい!そんな方は、こちらの記事をチェックしてみましょう。簡単に使える100均のコスプレグッズを紹介しています。

戦国時代に美女と言われた姫ランキングTOP5|肖像画も

戦国時代に美女と言われた姫ランキング5位!甲斐姫

戦国時代に美女と言われた姫ランキングの5位は、本多忠勝の娘「小松姫」です。本多忠勝は徳川四天王にも数えられた勇猛な武将で、小松姫は、父親似の勇猛な性格で知られています。すでに正室持ちの真田信之のもとに嫁ぐのですが、いつの間にか側室へと追いやり、小松姫が正室の座についてしまいました。

ちなみに、真田信之との結婚のきっかけも、徳川家康が並ばせた婿候補の顔を、マゲを掴んで覗きこんだためという逸話があります。家康の前で萎縮する婿候補のなかで、信之だけが小松姫の無礼を嗜めたというものです。真偽のほどは定かではありませんが、本当だとすれば、小松姫…強いですね。

この後、真田信之と父である真田昌幸は、戦で敵味方に分かれることになります。孫との今生の別れをするために、城までやってきた昌幸を「たとえ義父でも敵味方の間柄!信之の留守の間に、入城させることはできません!」と武装して拒否しました。精神的・武力的に、戦国時代の美女の条件、「強さ」に突出しています。

戦国時代に美女と言われた姫ランキング4位!北政所

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豊臣秀吉の正室、一般的には ねね であるが、おね とも呼ばれます。 法名は高台院湖月心公。 北政所と呼ばれるが、平安時代には官位が三位以上に公家の正室の呼び名、後に宣旨を受けた関白 摂政に正室の称号でありました。 秀吉が関白になり、ねね が関白補佐の為に従三位が授けられ、北政所と呼ばれるようになります。 太閤が秀吉の固有名詞のように、北政所も ねね の固有名詞になってます。 秀吉没後、淀君と連携して秀頼の後見にあたり、武断派七将の石田三成襲撃の仲裁を家康より依頼され評価を得るが、大阪城より京都新城に移住、養母の死と秀頼と千姫の婚儀を見届けて落飾、朝廷から院号を賜わり、高台院湖月心尼。 家康の後援で京都東山に秀吉の菩提を弔う為に高台寺を建立して、門前に屋敷を構える。 家康とはあまり親密な関係では無いが、秀忠は人質で ねね が面倒を手厚くみており、大変親密な関係で、秀忠は終生上洛時には高台院を訪れています。 #豊臣秀吉 #ねね #おね #秀吉正室 #高台院湖月心公 #北政所 #三位 #公家 #関白 #摂政 #従三位 #太閤 #太閤関白 #太閤関白秀吉 #淀君 #豊臣秀頼 #武断派七将 #石田三成 #徳川家康 #千姫 #高台院湖月心尼 #京都東山 #大阪城 #京都新城 #高台寺 #徳川秀忠 #高台院

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戦国時代に美女と言われた姫ランキングの4位は、豊臣秀吉の正室「北政所(きたのまんどころ)」です。北政所は、関白の正室に与えられる称号なので、名前ではありません。本名は、「ねね」または「おね」と呼ばれていました。まだ秀吉が木下藤吉郎であったころから、夫を支え続けていた内助の功ナンバーワンの姫です。

北政所は、政略結婚が多かった戦国時代で、珍しく恋愛結婚を果たした姫とも言われています。しかし、木下藤吉郎が羽柴秀吉になるころには、じょじょに浮気に頭を悩まされることになります。織田信長に宛てて、夫の浮気をどうにかしたいと愚痴をこぼした手紙も出していました。

それでも秀吉を見捨てることなく、増え続ける側室を掌握し、豊臣政権において無視できないほどの発言力と政治力を発揮します。秀吉亡き後も、嫡男である秀頼の後見として辣腕をふるっていました。戦国時代の美女の条件、「サポート力」に突出した姫です。肖像画は、晩年のものなので、美貌がわかりにくいのが残念です。


戦国時代に美女と言われた姫ランキング3位!淀殿

戦国時代に美女と言われた姫ランキングの3位は、豊臣秀吉の側室であった「淀殿(よどどの)」です。豊臣秀吉の側室といえば、少なく見積もっても10人以上、資料によっては20人近くとも言われています。女好きの秀吉が集めた側室のなかでも、とくに美貌を見込まれて迎えられた姫です。

本名は浅井茶々(あさいちゃちゃ)といって、織田信長の妹、お市の方の娘となります。じつは、秀吉とは因縁の関係にあった女性です。淀殿の父親、浅井長政は信長に攻め込まれて自害します。お市の方と、淀殿を始めとした娘たちは難を逃れますが、兄である万福丸は秀吉によって処刑されています。

また、お市の方の再婚相手である柴田勝家も、秀吉と対立し攻め滅ぼされているのです。またしても娘たちは難を逃れますが、母親であるお市の方は、勝家と共に自害しています。秀吉が淀殿を側室に望んだのは、母親ゆずりの美貌を見込んでのことです。戦国時代の美女の条件、「美貌」に突出した、悲劇の姫でした。

戦国時代に美女と言われた姫ランキング2位!濃姫

戦国時代に美女と言われた姫ランキングの2位は、本能寺の変で有名な、織田信長の正室「濃姫(のうひめ)」です。一般的に濃姫の名前で知られていますが、この呼び名は、美濃の国の位の高い姫という意味の通称でした。『美濃国諸旧記』という資料によると、「帰蝶(きちょう)」という雅な名前だったと伝えられています。

美濃の蝮(マムシ)と呼ばれた、斎藤道三の娘で、信長に嫁入りするときの逸話があります。若い時の信長は、「うつけ者」として有名でした。嫁入り前の帰蝶は、父親である斎藤道三に懐刀を渡されて、「本当にうつけなら、これで刺せ」と言われたというものです。戦国の姫の生活は、本当に大変ですね。

幸い、信長がうつけ者ではなかったため、実行には至りませんでした。信長の性格を見抜く観察眼だけでなく、暗殺まで託された姫でした。しかし、その後の行方については謎に包まれていて、信長と共に本能寺で亡くなったという説や、生き延びた説、離縁説などがあります。美女の条件、「生き様」に突出した姫です。

戦国時代に美女と言われた姫ランキング1位!お市の方

戦国時代に美女と言われた姫ランキングの1位は、織田信長の妹「お市の方」です。秀吉が生涯にわたって焦がれ続け、お市の方の面影を持つ娘「淀殿」を側室に迎えるほどの美貌の持ち主です。2度の政略結婚を経て信長をサポートし、信長の死後は、二人目の夫である柴田勝家と共に自害しました。

一人目の夫である浅井長政との間に儲けた娘たちは、それぞれ力のある家に嫁ぎ、血を残しています。中でも、秀吉の唯一の跡継ぎを生んだ淀殿と、三代目将軍徳川家光を生んだ江姫は、母譲りの美女ぶりと優秀さを発揮しています。

「お市の方」は、日本の戦国時代における美女の条件「美貌・教養・強さ・サポート力・生き様」を、すべて兼ね備えています。戦国時代の美女、ランキング第1位の座は不動のものと言っていいでしょう。「お市の方」は、福井市の西光寺に眠っています。菩提寺を訪ねるついでに、道の駅めぐりをしてみるのはいかがでしょうか。

戦国時代に美女と言われたが肖像画が残っていない美女は?その理由も

肖像画が残っていない美女①細川ガラシャ

戦国時代に美女と言われたのに、肖像画が残っていない美女として有名なのが、細川ガラシャです。父親が明智光秀というのも関係しているのかもしれませんが、彼女の肖像画は存在しません。嫉妬深い夫が、肖像画でもガラシャの姿を見せるのを嫌った可能性もあります。

ガラシャの夫は、妻の美しさに見惚れた庭師を切り捨てて、屋敷に監禁状態にするほど執着していたと言います。戦に出る前にも「妻が敵の手に落ちるぐらいなら、妻を殺して家臣も自害せよ」と言い残していく夫です。ヤンデレ(精神的に病んだ状態で愛情を示す)って、戦国時代にも存在していたんですね。

肖像画が残っていない美女②鶴姫

伊予の国の「鶴姫」も、戦国時代に美女と言われたのに、肖像画が残っていない美女の一人です。16歳で一族を率いて戦うも、兄と恋人を失い、18歳で入水自殺したという伝承で有名な姫ですね。有名になってから死亡するまでの間が短いので、肖像画を描く時間もなかったのだと考えられます。

また、鶴姫が有名になったきっかけは、1966年に発行された小説『海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク』にあります。この本ができるまでは、歴史に埋もれた姫だったのです。当時の知名度が高くなければ肖像画も描かれないので、惜しくもランキングからは外れてしまいました。

戦国時代の美女は命がけ

ランキングで紹介した女性たちは、厳しい条件をクリアして美女と称えられるようになりました。美貌はもちろんのこと、領地を経営する手腕や嫁ぎ先での外交手腕、精神的な強さも持たなければ耐えられないような人生です。後世において、ずっと美女として称えられるぐらいでなければ、割に合わないような気がしますね。

現代で美女と呼ばれるなら、ハードルの高い戦国時代の美女の条件を、一つでも満たしていればOKではないでしょうか。そう考えると気が楽になるような?美女になるために、条件のクリアを目指してみましょう。

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