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戦国武将が残した辞世の句のおすすめ11選!歴史ある有名な句を紹介!

更新:2019.07.30

戦国武将が残した辞世の句を紹介します。今回はその中でもおすすめの句を紹介しますので、ぜひ参考にして辞世の句について学んでみましょう。また、今回は辞世の句の意味についても解説していきますので、それぞれの意味を理解して当時の情景を思い描いてみてください。

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おすすめ!年代別戦国武将の辞世の句や意味:戦国初期編

【戦国初期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味①武田信玄の辞世の句

武田信玄の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国初期編の1つ目は、武田信玄の辞世の句です。武田信玄はあまりにも有名な戦国武将の一人です。歴史上戦国大名の中では最強だと言われており、徳川家康も一度戦に敗れています。また、武田信玄は病死してしまうのですが、その死後、信玄の教育方法を家康も信長も真似ています。

武田信玄の辞世の句は、『大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流』です。その意味は、『世の中は世相に任せて生きるものである。そして、その中で自分を見つけ出して死んでいくのだ。だから見せかけで生きるようなことはしてはならない。自分の本心でいきることが一番いいことだ。』という意味です。

武田信玄は短歌の他にも和歌を詠んでいます。有名なのが『人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』です。人を大事にすると味方になってくれるが、恨みを買えば復讐されることになり大変なことになるという意味です。もしも恨みを買ってしまった場合には以下の記事を参考に対処しましょう。

【戦国初期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味②毛利元就の辞世の句

毛利元就の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国初期編の2つ目は、毛利元就の辞世の句です。毛利元就は歴史上でも有名な毛利一族の戦国大名です。圧倒的強さを誇った毛利軍を事実上作った人物です。毛利軍は猛威を振るう織田軍に最後の方まで抵抗していました。

毛利元就の辞世の句は『友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は』です。その意味は、『今日の花見には自分の友達が一緒にいるから私の気持ちは嬉しい。だが、多くの人に見られている桜はもっと嬉しいだろう。なんとなくだが昨日の桜よりも良い香りがする気がする』という意味です。

【戦国初期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味③北条早雲の辞世の句

北条早雲の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国初期編の3つ目は、北条早雲の辞世の句です。北条早雲は戦国時代で下克上をした最初の人物だと言われています。歴史上有名な話しとしては、北条氏は最後まで豊臣秀吉に抵抗していたと言われています。


北条早雲の辞世の句は『枯るる木に また花の木を 植えそへて もとの都に なしてこそみめ』です。その意味は、『枯れてゆく木にもまた花が咲く。つまり、木を添えて植えることで元通りの都にして見せるぞ』という意味です。

おすすめ!年代別戦国武将の辞世の句や意味:戦国中期編【前半】

【戦国中期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味①足利義輝の辞世の句

足利義輝の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国中期編の1つ目は、足利義輝の辞世の句です。足利義輝は応仁の乱が勃発した後に就いた将軍です。信長は足利義輝に謁見しており、当時は敬っていたという説もあります。

足利義輝の辞世の句は『五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで』です。その意味は、『この五月雨は霧だろうか、それとも私の涙なのだろうか。不如帰よ、我が名をあの雲の上の天まで広めるのだ』という意味です。不如帰はほととぎすと読みます。

【戦国中期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味②上杉謙信の辞世の句

上杉謙信の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国中期編の2つ目は、上杉謙信の辞世の句です。上杉謙信と言えば、歴史上有名な人物で、武田信玄とは永遠のライバルでした。12年間の間に5回も戦いますが決着はつきませんでした。『敵に塩を送る』という言葉のモデルになったのも上杉謙信と武田信玄です。

上杉謙信の辞世の句は『極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし』です。有名な短歌なので聞いたことある人も多いかもしれません。その意味は、『私が死んだあと極楽に行くのか地獄に行くのかはわからないが、今の私の心は雲のかかってない月のように一片の曇りもなく晴れやかである』という意味です。

おすすめ!年代別戦国武将の辞世の句や意味:戦国中期編【後半】

【戦国中期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味③織田信長の辞世の句

織田信長の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国中期編の3つ目は、織田信長の辞世の句です。織田信長と言えば歴史上の人物の中でもかなり有名な人物です。織田信長はたくさんの和歌や短歌を残しています。本能寺の変では、能を舞いながら短歌・和歌を詠んだと言われています。

織田信長の辞世の句は『人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか』です。意味は、『所詮人間の一生は50年にすぎない。あの世の時間の流れに比べたら儚い夢や幻のようなものであり、命あるものは全て滅びてしまうのだ』という意味です。

【戦国中期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味④徳川家康の辞世の句

徳川家康の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国中期編の4つ目は、徳川家康の辞世の句です。徳川家康は有名な江戸幕府を開いた人物だと思われていますが、歴史上戦国時代を代表する人物の一人です。織田信長と組んだり、家臣として働いたりしていました。

徳川家康の辞世の句は『先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う』です。意味は、『私は先に死への旅に出るが、今は死なないで後に残ったお前たちも、いずれは同じように死ぬのだ。かといって今、お前たちを死の道連れにはしないで、ここで別れよう』という意味です。

おすすめ!年代別戦国武将の辞世の句や意味:戦国末期編【前半】

【戦国末期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味①豊臣秀吉の辞世の句

豊臣秀吉の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国末期編の1つ目は、豊臣秀吉の辞世の句です。豊臣秀吉と言えば歴史上の有名な人物の一人です。有名な短歌・和歌をいくつも詠んでいます。天下統一した人物と言われていますが、歴史の観点から見ると戦国時代の覇者は徳川家康です。

豊臣秀吉の辞世の句は『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢』です。意味は『露のようにこの世に生まれ、また露のように儚く消え去っていく我が身だ。浪速で過ごした栄華の日々もまた、まるで露のように夢のまた夢になってしまった』という意味です。浪速とは大阪城のことです。

【戦国末期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味②明智光秀の辞世の句

明智光秀の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国末期編の2つ目は、明智光秀の辞世の句です。明智光秀は、織田信長を裏切った裏切り者のレッテルが貼られれているイメージですが、仲間のためを思って仕方なく信長を討ったという説が濃厚であり、最後まで主である信長に従い信じていたと言われています。

明智光秀の辞世の句は『順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元』です。意味は、『自分は間違ったことはしていない。心の真に従ったまでだ。55年の夢から覚めてこれから新しい人生が始まる』という意味です。短歌でも和歌でもなく漢詩である点から、後から作られたものである可能性があるとも言われています。

おすすめ!年代別戦国武将の辞世の句や意味:戦国末期編【後半】

【戦国末期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味③柴田勝家の辞世の句

柴田勝家の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国末期編の3つ目は、柴田勝家の辞世の句です。柴田勝家は、知る人ぞ知る歴史上有名で重要な人物です。清須会議において豊臣秀吉と意見が対立して戦った人物です。信長の死後、秀吉が跡を継ぐ要因となった重要な清須会議における第一人者でした。後に秀吉に敗れます。

柴田勝家の辞世の句は『夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす』です。意味は、『夏の夜のように短く儚い人生だったがほととぎすよ、俺たちの生きた証である生き様や誇りを高く(雲井に)あげてくれ』という意味です。

【戦国末期編】おすすめの戦国武将の辞世の句や意味④石田三成の辞世の句

石田三成の辞世の句

おすすめの戦国武将の辞世の句や意味の戦国末期編の4つ目は、石田三成の辞世の句です。石田三成は、天下分け目の大戦である関ヶ原の戦いにおいて徳川家康と敵対した西軍の総大将でした。上杉、毛利という有名で大きな力をもつ大名が見方しましたが、結果として敗れました。

石田三成の辞世の句は『筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり』です。意味は、『筑摩江よ、あの芦の間に灯るかがり火のように、自分の命も消えていくのだな』という意味です。筑摩江とはその当時の地名です。

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌①織田信長の短歌・和歌

織田信長の短歌・和歌

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌の1つ目は、織田信長の短歌・和歌です。『鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす』という句があるように、自分の思い通りにならないものは処刑するという信長らしい一句です。

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌②豊臣秀吉の短歌・和歌

豊臣秀吉の短歌・和歌

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌の2つ目は、豊臣秀吉の短歌・和歌です。『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす』という句から分かるように、秀吉は自分の実力に自信があったようです。結果として農民から武士まで昇りつめ、天下人になった人物です。

秀吉の実力を表した一句です。信長は力で物を言わせる性格であり、一句を詠んでいます。秀吉は力ではないものの力で鳴かせるという一句であり、事実信長に気にいられたのも力による実力ではなく、その性格から気に入られていました。

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌③徳川家康の短歌・和歌

徳川家康の短歌・和歌

戦国武将の辞世の句以外の短歌・和歌の3つ目は、徳川家康の短歌・和歌です。『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす』という句からもわかるように、家康は気が長いことがわかります。信長や秀吉とはまた違った性格であることがよくわかります。

戦国武将の辞世の句を知ろう!

いかがでしたか?戦国武将の辞世の句には、その時の季節などが強く反映されています。当時に雪が降っていれば雪の情景を詠み、暑ければその情景を詠みます。今回の記事を参考にして戦国武将の辞世の句を覚えましょう!以下の短歌に関する記事も良ければ参考にしてみてください。

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