足るを知るの本当の意味とは?老子の「知足者富」の真意を探る!
更新:2019.06.21
「足るを知る」は元々仏教に由来する言葉ですが、時代や人により解釈を大きく変えている言葉であり、正確に説明をしようとするとプレッシャーを感じることでしょう。「足るを知る者は富む」とも言いますが、この老子の言葉が本当に意味するものをここでは紹介していきます。
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INDEX
「足るを知る」の由来は?
「足るを知る」は老子から来ている
「足るを知る」は、老子から来ています。老子は中国における春秋戦国時代の思想家であり、日本でも有名な名言を数多く残しています。「大道廃れて仁義あり」「知りて知らずとするは尚なり」「善く戦う者は怒らず」といった、人生における核心を付いた言葉を数多く残しています。
下記に老子が実際に述べた言葉における書き下し文を紹介していきますが、老子は本来「足るを知る」という言葉ではなく「足るを知る者は富む」という言葉を残しているのです。その思想の詳細や解釈については後述しています。
POINT
老子「足るを知る者は富む」書き下し文
人を知る者は智自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り自ら勝つ者は強し足るを知る者は富み強(つと)めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而も亡びざる者は寿し。
「足るを知る」を広めたのは老子だが仏教の教えが由来と言われている
「足るを知る」は仏教の教えが由来だと言われています。仏教の経典にも「知足」という言葉が登場しており、その言葉が由来でその後に老子等、様々な人々がそれをそれぞれの解釈において広めていったとされています。
後述しますが特に龍安寺にある「吾唯足るを知る」と記されているつくばいが有名で、この事実は仏教で盛んに説かれている教えだということを根拠付けています。
「足るを知る」の本当の意味は?
「足るを知る」は身分相応の満足を知る意味として使われている
「足るを知る」は、身分相応の満足を知る意味として使われています。身分に合わない満足を目指して卑しくなるのではなく、身分相応に倹しく生きていくことを示した言葉となっています。特段仏教においては、このような倹しい気持ちを説く経典が多くなっていますが、仏教においても様々な解釈があります。
そのため「足るを知る」という言葉はこのような解釈が一般的にはなっているのですが、この解釈以外にも様々な解釈があると言われています。仏教の教えと老子の解釈にも相違があり、その一つ一つの解釈に、非常に深い意味を持っている言葉であると言えます。「足るを知る」という言葉は人生の教訓として役立つ言葉です。
本当の意味は「内的な可能性や現状の成果に感謝をすること」
本当の意味は「内的な可能性や現状の成果に感謝をすること」です。ここで紹介する、現状に感謝をするということは非常に大切なことです。何故なら、感謝なしに満足を得ることはできないからです。そして感謝を意識することで、満足を得られるようにもなるので、「内的な可能性や現状の成果に感謝をすること」は重要です。
「足るを知る」は時代や人により解釈を変えてきている
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「足るを知る」は時代や人により解釈を変えてきています。何故なら「満足」や「幸せ」というものの定義が変わってきているからです。例えば貧乏な時は金銭的に満ち足りていないので金銭的に裕福になると満足だと感じる傾向にあります。逆に金銭的に満ち足りているものの人間関係に問題があれば、裕福でも幸せと感じません。
「満足」や「幸せ」というものの定義は時代やその人が置かれている状況によって大きく変わるものです。さらに時代が進むことで技術の進化もあるため、昔と同じものを「満足」や「幸せ」の定義に当てはめることは非常に難しいのです。例えば昔は白黒のテレビで満足していましたが今ではそんなもので満足はできないでしょう。
こういった背景もあり、「足るを知る」という言葉はその定義を、時代と共に徐々に拡張していっているのです。ここではそんな「足るを知る」の解釈の仕方や歴史等について紹介していきます。
「足るを知る者は富む」の本当の意味は?
「足るを知る者は富む」は中国語表記で「知足者富」となる
「足るを知る者は富む」は、中国語表記で「知足者富」となります。「足るを知る」という言葉は元々中国から伝来しています。この言葉に限らず、格言や諺は中国や仏教に由来しているものは少なくありませんし、また老子等の中国の過去の偉人による言葉も少なくありません。「足るを知る者は富む」という言葉もその一つです。
「足るを知る者は富む」についても様々なビジネス書にその考え方が取り入れられていますし、人の人生や生き方を語る上で、よく耳にする言葉になっていますが、老子等の中国の偉人の言葉を、現代風にアレンジして解釈をすることが多くなっています。何故なら昔の文章をそのまま読んで理解できる人は限られているからです。
私たちの多くは「知足者富」という言葉をそのまま理解することは難しく、「足るを知る者は富む」と日本語訳をし、それが何を意味しているのか解説を受けて、日常生活においてはどのようなことを指し、どのように生きれば良いのかまでしっかり説明を受けることで、この言葉を吸収できるといった状況なのです。
「足るを知る者は富む」の本当の意味とは満足を知る人は幸せということ
「足るを知る者は富む」の本当の意味とは、満足を知る人は幸せだということを示しています。世の中、貪欲に妥協せず、常に向上心を持つことで人間は成長していくという考え方があります。満足を知る人は幸せだとする考え方はその考え方とは逆を示しているように思われますが、決してそうではありません。
もちろん簡単に妥協せずに、向上心を持ち続けることも大切ですし、一方で満足を知ることで人間は幸福感を得ることができますので、両方の考え方のバランスがとても大切になってくるのです。常に妥協を許さなければ生き疲れるでしょうし、一方で何事にも満足をすると向上心を忘れるリスクもあります。
「足るを知る者は富む」という言葉についてもそうですがこういった格言は、人生において大切なエッセンスをしっかり説明している一方で、他の要素とのバランスをとる必要があります。この場合は妥協しないことと満足することのバランスになってきます。仏教においても中庸が重視されるので、格言も理解の仕方が大切です。
「足るを知る者は富む」から学ぶことは満足と感謝が重要だということ
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「足るを知る者は富む」から学ぶことは、物事に対しての満足と感謝が重要だということです。「足りる」という状況は決して自分の努力だけで成し遂げることはできません。そこにたどり着くまでには自分を支えてくれる人や、自分からは見えない世界中の多くの人、そして自然に助けられてそういう環境が成立しているのです。
さらにその「足りる」状況に到達するためには自分自身もたくさんの失敗を重ねてきた、努力の結晶なのかもしれませんが、過去の人たちが積み重ねてきた努力があります。私たちが何気なく使っているものは、すべて過去に生きてきた人たちの努力の結晶であり、それを享受できることにも感謝の念が必要なのです。
「足りる」「足りていることを認識しているから富んでいる」という「足るを知る者は富む」という言葉は、多くの人々や自然に支えられて成り立っているものであり、そこまで認識をすることになればもはや万物に感謝するしかないでしょう。「足るを知る者は富む」という言葉は、世の中の核を捉えている言葉だと言えるのです。
「足るを知る」人になる為にはどうすればいい?
「足るを知る」人になる為に必要なこと①何事にも感謝の気持ちを忘れない
「足るを知る」人になる為に必要なこととして、何事にも感謝の気持ちを忘れないことが挙げられます。「足るを知る」の意味合いには「十分なこと」「満足できること」という意味合いが含まれていますので、その意味合いが示すことに対する感謝の気持ちを忘れないことが非常に大切なことだと言えるでしょう。
仏教においても物事への感謝ということがよく説かれることがあります。法事や葬式の説法の場面では、仏教の考え方の一つとして感謝が説かれます。そういった仏教の式典の場面で改めて感謝というものを考えるのですが、本来であればそういったことがなくても常に感謝の気持ちは忘れずに日々生活に臨みたいものです。
感謝は言葉で伝える場面が多いかもしれませんが、いつもと違う方法で相手にその気持ちを伝えることで、相手を感動させることができるかもしれません。下記の関連記事は、花言葉で感謝の気持ちを伝えるポイントをまとめたものになっていますので、是非時間がある時にチェックしてみて感謝の想いを伝える参考にしてください。
「足るを知る」人になる為に必要なこと②苦労や苦難を課題だと思えること
「足るを知る」人になる為に必要なこととして、苦労や苦難を課題だと思えることが挙げられます。本来苦労や苦難という言葉についてはネガティブなニュアンスだと捉えがちですが、これを「課題」というポジティブな捉え方をすることで、「足るを知る」という言葉を実践する一助になることでしょう。
「苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、これは非常に的を得ています。何故なら人の生涯は良いことと悪いことのような相反するものがバランスよく両方出現するようになっていて、苦労をした後には楽ができ、楽しいことが待っているのが人生の仕組みであるからです。しかしこれにはからくりがあります。
苦労や苦難を乗り越えることで、自分に必要なスキルが身に付くこととなります。身に付けたスキルによってまた同じような苦難に出会ったとしても次はより少ない労力で乗り越えることができますし、何より変化に対して動じずに対処してチャンスをつかむことができるようになるのです。
「足るを知る」人になる為に必要なこと③謙虚な気持ち
「足るを知る」人になる為に必要な事として、謙虚な気持ちが挙げられます。「足るを知る」という言葉の中には謙虚さを示す要素が入っています。老子が儒教において説いている教えの中には、直接的に謙虚というものを示すよりも、その要素が垣間見られる教えが多く存在しており「足るを知る」を実践するには必要になります。
老子の教えや儒教の教えの中には、日本人気質の骨組みになっているものがいくつかありますが、「謙虚さ」という要素もこの中に含まれているものだと言っても間違いではないでしょう。謙虚な気持ちがあれば、満ち足りた気持ちになれる可能性が高くなりますし、色々な物事が吸収できる落ち着いた心境にもなれます。
物事に対して謙虚な気持ちで接することが習慣になってくると、物事への感謝の気持ちというものが自然と湧いてきて、現状に対して満ち足りていると思うことができるシーンが自然と増えてきますので、満足度が高い生き方ができることでしょう。今の日本人には忘れないで持ち続けてほしいのが、謙虚な気持ちだと言えます。
龍安寺のつくばいに「吾唯知足」の文字が刻まれている
「吾唯知足」は「吾唯足るを知る」と読む
「吾唯知足」は中国語であり、これは「吾唯足るを知る(われただたるをしる)」と読みます。「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれている、京都府の龍安寺に安置されているもので、ここに「吾唯知足」と記されています。京都府の龍安寺は京都駅から見ると北西に位置しており、近くには金閣寺や仁和寺があります。
龍安寺と言えばこのつくばいでも有名なのですが、何よりも石庭(せきてい)で有名なお寺です。龍安寺の石庭は非常に佇まいが感じられ、またそこには日本古来からある詫びさびが存在しています。最近ではすっかり観光地化してしまい、スマホのシャッター音が鳴り響くので中々そういう雰囲気を感じることができません。
そしてこのつくばいは龍安寺にあるものが最も有名ではあるのですが、今では龍安寺以外でも同じようなものを見つけることができます。例えば画像のように、ビルの上から「吾唯知足」という文字を確認できますが、このように「吾唯知足」は非常に愛されている言葉であり、今では様々なシーンや場所で確認できます。
龍安寺のつくばいは水戸光圀が寄贈したもの
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龍安寺のつくばいは、水戸光圀が寄贈したものです。水戸光圀と言えば、時代劇の「水戸黄門」のモデルになっている人物として有名です。実際に全国を放浪していたような史実はなく、実際には関東地方から出たことはないと言われています。そして、今観光で確認できるつくばいは、寄進された実物ではないと言われています。
水戸光圀は大日本史の編纂に力を尽くした人物であり儒学家としても有名でした。そのためこのような「知足の蹲踞(つくばい)」を寄進した経緯は自然と言えるのです。ちなみに「吾唯知足」のつくばいはすべての漢字に「口」という感じが含まれています。真ん中に「口」という文字があり「口」の字を各々が共有しています。
こういった文字列を見たことがある人も多いかもしれませんが、これはお金のように見えるものの実は蹲踞(つくばい)という石造りの彫刻なのです。下の写真が蹲踞ですが、実物(寄進された実際のものではありません)を見ても、寄進した人物のセンスが分かる品になっています。
龍安寺のつくばいの「吾唯知足」の文字が意味する仏教の教え
龍安寺のつくばいの「吾唯知足」の文字が意味するものとは「自分にとって何が必要なのか、あるいは何があれば満足できるのかを心で理解すること」です。まず「知る」という意味は漢字が示している「知る」という直訳ではなく「心で自然と理解をする」という意味合いになるので単に知るニュアンスより深い物になります。
そして「足るを知る」に付いている「吾唯」が意味するところは「他人に影響されずに自分自身のこととして考える」というニュアンスです。自分が満足できるものを他人に教えてもらうのではなく、自分の心で理解することを強調するために、このような言葉が付けたされているため、「足るを知る」より意味が限定されています。
「足るを知る」という言葉は実際に老子に由来する言葉であり、水戸光圀の時代よりも遥か昔のことではあるのですが、水戸光圀はこの言葉を日本中に知らしめたということも、大日本史の編纂と並ぶひとつの功績だと言っても過言ではないでしょう。龍安寺に行く際には是非、この蹲踞(つくばい)を見に行ってくださいね!
【番外編】「足るを知る」を英語で言うには?
足るを知るは英語でThis|is|enoughで通じる
足るを知るは、英語でThis|is|enoughとなります。直訳すると「これは足りています」という、本来の言葉が指し示す意味合いとは違っていますが基本的に英語に訳す場合はこのような表現になることが多くなります。「足りていることを知っている」ということが「(これは)足りている」と言い換えられるのです。
しかしながら相手に対して自分の想いや考えを本気で伝えようとするならこの表現では不十分であると言えるでしょう。そのため、この表現で十分だと思わずに、その都度そのシチュエーションが示す状況を英訳した方がいいでしょう。「足るを知る」を伝える際に自分でしっかり文章を作り、それを英訳するようにしましょう。
「足るを知る者は富む」を英語で言うとまったく違う表現になる
「足るを知る者は富む」を英語で言うと、まったく違う表現になります。「足るを知る者は富む」を英語訳すると下記の表現になりますが、この表現でさえも必ずしもどのシチュエーションにおいても使えるというものではありません。先述したように、状況に合わせて英語訳にチャレンジしていくことが大切です。
POINT
足るを知る者は富むを英語で言うと?
A contented mind is a perpetual feast.
ちなみに故事成語やことわざを英訳する際のコツは下記の関連記事を見ることでも知ることができます。日本語のことわざを英訳したり、逆に英語が発祥のことわざの原文を見ると違う教訓に出会えることもあるので、是非下記の記事も読んで、ことわざや故事成語に英語で触れるということにもチャレンジしてみてください。
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「足るを知る」などの諺を英語訳する際の注意点
「足るを知る」などの諺を英語訳する際の注意点として、まずはその言葉をどのように英訳するかを考えるのではなく、日本語の文章をしっかり考えることが大切です。例えば「I know enough situation(私は十分であることを知っている)」では本来の日本語の意味はまったく伝わらないでしょう。
そのため、まずは「足るを知る」あるいは「足るを知る者は富む」という言葉を、相手に伝えたいことに合わせて紐解いた、ある程度長文の日本語を考えてからそれを英訳することが必要です。面倒でエネルギーを使うかもしれませんが、その作業を追加することで、相手にしっかり英語で意味を伝えることができるでしょう。
「足るを知る」という真の意味を知り人生に役立てよう!
「足るを知る」という言葉は、いくつかの意味を持ちそれぞれが人生の教訓となり得る深い意味を持っています。そのため、この言葉をしっかり勉強することで、今後の人生をより有意義に生きていくヒントを得ることができます。さらに語彙が広がることでビジネスに於いて相手に説得力のある話ができるようになることでしょう。
「足るを知る」という言葉を知ることは自分がこれから生きていく上でもビジネスに身を置いて仕事を極めて行くうえで欠かせないものだと言っても過言ではないと思います。ここで「足るを知る」という言葉に、本格的に出会ったことが運命だと思って、ここで読んだことが今後の人生を好転させるきっかけになればうれしいです!
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