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身請けとは?意味や花魁・遊女の身請け金とその後は?

更新:2019.11.08

遊郭を舞台とした花魁や遊女が登場する作品を、映画や小説でよく目にします。そこで登場する「身請け」という言葉について、今回は解説をしていきます。合わせて花魁や遊女、女郎などの知識や、そもそも遊郭とはどのようなところかもご紹介します。現代では考えられない不思議な世界を、ぜひご堪能くださいね。

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身請けとは?意味は?

遊郭とその仕組み

身請けについてお話する前に、まずは遊郭についてご紹介します。遊郭とは、遊女や女郎を集めた遊女屋を囲った区画のことをいいます。男性たちが彼女たちの時間を買い、一緒に「遊ぶ」場所です。安土桃山時代頃に成立していたとされますが、私たちのイメージする遊郭は「江戸時代」のものであることが多いかと思います。

大坂の新町、京都の島原、江戸の吉原は特に有名です。当時は男性たちの憧れの場として大いに栄えました。全国各地に公に許可された遊郭があったとされます。明治以降の近代社会では公には遊郭は廃止されますが、私娼として比較的現代まで残り続けました。

花魁・遊女は女性たちの憧れでもあった!

花魁・遊女・女郎たちは、男性たちの憧れの的としてのイメージが強いと思います。しかし江戸時代は男性のみならず女性たちにも、ファッションアイコンとして、遊郭の女性たちは憧れられました。カリスマモデルのようなものですね。遊女の髪型は当時の女性たちに爆発的に流行し、髪型を真似る女性たちも多かったようです。

遊郭には不遇な女性が多かった

遊郭で働いていた女郎たちは、だいたい27歳ころまでを働ける期限としています。これを「年季」と呼んでいました。しかし実際には20代なかばまでに病で命を落としてしまう女性たちが多かったとされています。年季明けまでに遊郭を出られる女性たちはそう多くなく、不遇な人生を送っていた女性たちがほとんどでした。

年季が明けても遊郭に残っていた女性たちはどうなっていたのかというと、そこからは大体自由の身です。ただ遊郭に残り続けて遊郭の管理にあたったり、お客と恋愛関係になって出ていく女性たちがいたりと、その後の生き方にも様々なスタイルがあったようですね。

身請けの意味は「遊女・花魁・女郎に商売をやめさせること」


さて、そんな遊郭には、身請けという制度がありました。「身請け」とは、どういう意味かというと「客が店にお金を払って商売から身を引かせること」です。お客がお気に入りの遊女や女郎を自分のもとに引き取ることができますが、それもなかなか大変なことだったようです。詳細に関しては、後ほどご紹介いたします。

花魁や遊女の身請けの仕組みとは?身請け金は?

遊郭の女性たちにはランクがある

和装

遊郭の女郎たちは、様々なランク付けをされていました。「花魁」と呼ばれていたのは最高ランクの「太夫(たゆう)」と呼ばれるような女性たちのみです。遊郭にいる女性すべてを「花魁」と呼ぶというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、それは間違いです。

花魁と呼ばれる太夫ランクの女性たちは、美貌だけでなく漢詩や和歌に長け、頭が良く、一通りの作法を身につけている必要がありました。また、自分についている禿(かむろ=見習いの少女)らの面倒を見たり、身の回りを整えたりするのにも自分のお金を使うため、出費も大層多かったようです。借金がかさむ原因の1つですね。

花魁と遊ぶにはかなりのお金が必要!

まず、最高ランクの花魁たちと一晩遊ぶのにはどのくらいのお金がかかったと思いますか?遊び方もいろいろありますが、普通にお座敷で会ってもらうだけでも1両ほどがかかったと言います。1両といえば、今の金額で訳4万円程度。もし花魁と一夜を共にしたいと思うのであれば、さらにお金が必要です。

花魁と一夜を過ごすためには、1回最低でも15両は必要であったとされます。ということは、だいたい現代のお金で60万円程度ですね。もちろんこれは安いお金であるわけがなく、花魁を一夜買えるのは大商人などのお金持ちだけであったとされます。

ちなみに、位の高い花魁たちは客を選べました。つまり、いくらお金を積んでも、無作法で彼女たちの好みに合わない客は一夜を共にしてもらうことはできないのです。洗練された彼女たちは、まさに男性たちの憧れの存在、高嶺の花だったのですね。


花魁の身請けのルール

花魁をはじめ遊女たちは、貧しい農家などから売られてきた娘であることがほとんどでした。彼女たちが遊郭に入る際、家族に払われる代金はそのまま娘たちの借金となり、一生かかっても返せないとされてきました。「一生返すことができない借金」のために閉じ込められた彼女たちは、そこから自由に出て行くことができません。

更にその借金には膨大な利息をつけられていましたので、とんでもない額でした。身請けは、その多額の借金を客が肩代わりするシステムだとお考えください。お気に入りの花魁・遊女・女郎の借金、そして彼女たちがこれから稼ぐであろう大量の金を代わりに払うので、ここから出して自分に欲しい、という流れですね。

身請けしたい遊女がいる客はまずお店に話を通し、親元や遊女たち本人に異論がないことを確認した上で身請けの話が勧められます。先ほどご紹介したとおりかなりの金が必要となります。

太夫の身請け金は数千万円!

遊郭の最上位である太夫クラスの身請け金は、借金や利息、そして今後の稼ぎなどを含めると1000両程度とされています。1000両というと、現代でいうところの4000万円程度ですね!とんでもない額です。はっきりした相場があるわけではなく、店側と客の相談で決められてきました。

あまりにも身請け金が高騰したため、のちに「身請け金は500両まで」というルールが制定されますが、それでもなお1000両以上の高値で客に買われる遊女は多かったといいます。もちろん一般の男性に出せる金額であるはずがなく、大商人や相当のお金持ちでないと難しいです。

花魁より下のランクの身請け金も100両程度!

和風

花魁の1000両は当然破格でしたが、その他のランクの遊女たちはどうだったのでしょうか?花魁ほどではないといえ、彼女たちも立派なお店の商品でした。安値で売り渡すなどとんでもありません。下ランクの遊女たちの身請け金も、だいたい100両(400万円)程度が相場であったとされています。


江戸時代の様子を描いた落語や歌舞伎などの演目にも、遊女がたくさん登場します。もしご興味があったら、ぜひそちらにも触れてみることをおすすめします。

花魁や遊女が登場する映画やマンガなども人気を博し、和装にご興味をお持ちの方も多いでしょう。そんなみなさんには、以下の記事もおすすめです。振袖や和服を着る際の参考にぜひしてみてくださいね。

花魁や遊女の身請けのその後とは?

身請けされた遊女のその後とは①愛人となり暮らす

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身請けされた遊女のその後として多かったのは、買ってくれた客の愛人として囲われるパターンです。大商人や大名の家に身請けされたとしても、もともとその旦那様には奥さんがいる場合がほとんどなのです。そのため身請けされた遊女は、愛人として囲われていた場合が多かったようです。

客を取っていた遊郭での暮らしもなかなかつらかったと思いますが、妻とは異なる立場の愛人というのもなかなかつらいものかと思います。愛人として本妻との確執があったり、慣れないストレスのたまる暮らしもあったでしょう。それでも、様々な男性客を取って過ごす日々より、ずっと安らいだ女性たちもいたことと思います。

身請けされた遊女のその後とは②客の妻となり暮らす

身請けされた遊女のその後の2つ目は、買ってくれた客の妻として暮らすことです。稀ではありますが、正式に妻として迎えられた遊女たちもいたようです。

また、位の高い遊女であれば学問などにも長けていますので、商人などの妻となり家庭を支えてきた例もあるようです。その辺りの学のない娘を嫁にするより、教養のある遊女を嫁にしたほうが良いということも言われていました。

また、遊女(体を売る女性)ではありませんが幕末の志士桂小五郎(木戸孝允)の妻である幾松(木戸松子)という女性も元々は芸妓(げいこ=舞などの芸を売る女性)という立場でした。彼女は幕末の動乱の中でも桂を懸命に支え続け、その後明治政府の要職に就いた桂の妻として、余生を送りました。

身請けされた遊女たちの生活は比較的豊かだった!

遊女たちは、高いお金を払い引き取られてきた身です。豊かな商家に暮らすことが多かったため、愛人として暮らすことになったとしても使用人がつき、身の回りを世話をしてもらったパターンが多いようです。彼女たちは今まで通り、美しい着物を纏い三味線を弾いたりして、優雅な暮らしをしていました。

たとえ愛人の立場だからといってみすぼらしい暮らしをさせておくことは、彼女たちを買った旦那さんたちの評判を悪くしてしまいます。綺麗な着物を着せて連れて歩くことも、素晴らしいステータスとなっていたのです。だからこそ、身請けされて素敵な旦那様のもとに行くこと遊郭の女性たちにとっての憧れだったわけですね。

江戸時代の遊郭を通して和の世界にご興味を持たれた方は、以下の記事もぜひご覧ください。日本語には美しい「大和言葉」がたくさんあります。和の世界を知るには、そこで使われている言葉に深く親しむことも大切です。今まで知らなかった日本の言葉を通して、新たな日本文化に興味を持つきっかけになるかもしれませんよ。

遊郭の身請け事情には様々なドラマがある!

遊郭の女性たちの身請けについてご紹介してきました。今では考えられない常識ばかりで、驚かれた方も多かったかもしれません。江戸時代の遊郭は、1人の女性を自分のものにするのに、数千万円ものお金が動いている世界でした。

遊郭はきらびやかな男性たちの夢の世界でありながら、働く遊女たちにとっては地獄だったとも言われています。たったひとりの好きな人に身請けされることは彼女たちの大きな夢でしたが、その夢を叶えられたのはごく一部の恵まれた遊女だけだったのです。そのことを知ると、更に遊郭という場所の悲しみを深く感じますね。

華やかなぶんだけ、苦しみも多かった遊郭の世界に、少しでも興味を持っていただければ幸いです。男と女のドラマにあふれた、愛憎に満ちた世界、これも立派な日本の文化のひとつなのです。

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