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江戸時代の性に対する貞操観念は?
江戸時代は今よりもずっとオープンだった
江戸時代は今よりもずっと、性に関してオープンな時代でした。初体験の年齢が10代前半なんて特に珍しくもなく、「結婚するまで純潔を守って当然」なんていうお堅い貞操観念が定着し始めたのは、日本が西洋諸国の文化やキリスト教の教えを積極的に取り込み出した江戸末期~明治以降。つまりわりと最近の話なのです。
近年性の低年齢化が嘆かれるようになりましたが、言ってしまえば今に始まったことではないといったところでしょうか。もちろん良いところのお嬢様など家柄次第というところもあったようですが、一般庶民ですと性に関して奔放で、貞操を守ることへの意識は低かったといわれています。
「処女であること」は有利ではなかった
江戸時代の女性は「処女であること」がステータスにはなりませんでした。むしろたくさんの異性と関係をもって、男のことを熟知しておきなさいというくらいの文化・風潮もあったといいます。そして、デートとセックスはほぼイコールだったのです。女性が男性の声かけをOKすれば、性行為も了承したようなものです。
当時の女性たちは現代女性よりずっと積極的で、デートも性交渉も、基本的に主導権を握っていたのは男性でなく女性。気に入った男性を押し倒すようなことも当たり前でしたし、女性が拒否すれば男性側はおとなしく諦めなくてはなりませんでした。
ちなみにこのような性事情は江戸時代になって始まったことではありません。戦国時代頃からずっと日本に存在していた考え方です。
江戸時代の性事情5選|夫婦生活は?
【江戸時代の性事情】夫婦生活①見られても聞こえても気にしない!
江戸時代の性事情・夫婦生活編その1は「見られても聞こえても気にしない!」という実に豪快なものです。一般庶民が暮らした住まいといえば長屋ですが、長屋の壁は薄くて声などがセックスの際の声や音が筒抜けだったといいます。
もちろんそうなれば性生活も大変、かと思いきや、隣や外に声が漏れてしまったり誰かに覗かれたりしても、別に平気な夫婦が多かったのです。その傾向は主に結婚してそれなりの年月が経った夫婦によくみられました。
まだ若い新婚夫婦だとさすがに他人の目があるのは少し恥ずかしかったようですが、隣から聞こえた声に触発されて我慢できずに始めてしまうのは日常茶飯事でした。
【江戸時代の性事情】夫婦生活②妻の浮気は当たり前
江戸時代の性事情・夫婦生活編その2は、妻の浮気は当たり前に行われていたということです。江戸時代には「不倫は死刑、不倫された側は、配偶者や不倫相手を殺めてしまっても不問」というような厳しい法(不義密通)があったにもかかわらず、不倫自体が当たり前のように行われていました。
女性が案外気楽に暮らしていた江戸時代ですが、女性の働き口はほとんどなく、今でいう専業主婦が大多数。そして今ほど家事も忙しくはなかったそうで、暇を持て余していたわけですね。
なので旦那の留守中にそのへんを歩いている男を引っ張り込んだり、ナンパについていったり、なんていうこともよく起きていました。そして旦那の方はそれが分かっていても、好きで結婚した妻が罪に問われるのは嫌で、知らないふりで夫婦生活を続けるパターンが多かったのです。
【江戸時代の性事情】夫婦生活③週に3回程度はセックスがあった
江戸時代の性事情・夫婦生活編その3は、最低でも週に3回は性生活があったということです。今のように娯楽がないし、夜は暗くなるためどうしてもそういう楽しみ方になってしまうのでしょう。当時の性生活で重要視されたのは回数だそうで、春画などでもよく、一晩に何度もこなす男女の様子が描かれています。
当時の男性だってみんながみんな絶倫だったというわけではないでしょうが、強い男性が多かったのかもしれませんね。「そんな男性が今もいればいいのにな」と思った方は、こんな記事も読んでみてはいかがでしょうか。
【江戸時代の性事情】夫婦生活④性生活は避妊なし
江戸時代の性事情・夫婦生活編その4は、性生活には避妊がなかったことです。もちろん江戸時代には今のような避妊具がなかったので、基本的に性生活において避妊はしませんでした。コンドームのようなものは一応ありましたが、舶来品で高価・しかも装着感が悪いといった事情からほとんど普及しなかったそうです。
当時の避妊は、遊郭などでもそうですが、洗浄などの現代では効果がないと証明されている方法が一般的でした。浮気や遊びでの行為はもちろん、夫婦間の行為であっても望まない妊娠というのは多数あったようなので、現代ではしっかり避妊をしましょうね!
【江戸時代の性事情】夫婦生活⑤パートナーの交換も行われていた
江戸時代の性事情・夫婦生活編その5は、パートナーの交換が楽しみの一つとして行われていたことです。現代でいうところの「スワッピング」が、江戸時代には既に存在していました。二組の夫婦がお互いのパートナーを交換し、行為に耽って楽しんでいたのです。
現代でも経験したことがある人は少ないと思いますが、これも当時だとさほど驚かれることはない性生活でした。乱交パーティーに近いものも行われていた、という記録もあります。
江戸時代の性事情5選|性文化は?
【江戸時代の性事情】性文化①夜這い文化
江戸時代の性文化その1は、夜這い文化です。江戸時代から近代まで長く続いた代表的なもので、もちろんこれは双方の合意をもって行われるものであり、女性側が「今夜行く」ということを事前に知らされている場合もありました。夜這いというとなんとなく無理やりなイメージがありますが、決してそうではなかったのです。
ですので当然、女性には拒否権がありました。今と同じように、女性の意思を無視して強引に迫ると罰せられたり、集落内で村八分にあったりしました。周りにいる他の人間が目を光らせて、ろくでもない男から女性を守ってくれていたのです。
きちんとした夜這いのシステムは若い男性への性指南や、未婚率の低下に役立ったともいわれています。例えば年上の女性に手ほどきを受けつつ自信をつけ、好きな女性との交際や行為に備えたりしたのですね。
【江戸時代の性事情】性文化②性指南のマニュアルがたくさん
江戸時代の性文化その2は、恋愛や性事情に関するいろいろなマニュアルがあったということです。春画を嫁入り前の娘に持たせ、性教育に利用したなんていう話もあります。恋愛マニュアルやセックスのマニュアルもたくさん出版されており、ナンパからセックスまで皆こぞってそれを参考にしていたのです。
【江戸時代の性事情】性文化③経験豊富な女性はモテた!
江戸時代の性文化その3は、経験豊富な女性がモテたということです。当時は、男を熟知している女性がよくモテました。男性の理想のタイプとして「おおらかで、一緒に性行為を楽しめる女性」がよく挙げられ、求められました。現代でよく言われている理想の女性のタイプとは、やはりずいぶん違っています。
他にも「誘いを無下に断らない女性」なども定番の答えで、男性にとって都合のいいように思えますが、女性も貞操観念が今とは違っていますし、時代劇のようにか弱い女性ばかりではありません。最初にも述べた通り、恋やデートとセックスは男女ともにイコールという性事情の時代でした。
【江戸時代の性事情】性文化④性行為は着衣のまま
江戸時代の性文化その4は、性行為は着衣のままで行うのが一般的だったということです。これは春画を見ると納得できますね。体への愛撫はそこまで時間をかけずに、お互い「とにかく挿入や回数が大事!」といった状態です。女性の胸に対する関心も薄く、今ほど性的なシンボルとして見られていませんでした。
したがって前戯やキスなどの現代のセックスには欠かせない段階はないに等しく、今の感覚で想像するとちょっと物足りないかもしれませんね。
【江戸時代の性事情】性文化⑤野外での行為も当たり前
江戸時代の性文化その5は、野外での行為も当たり前だったということです。現代と違って、ラブホテルなども気軽に行けない時代。住まいは壁の薄い長屋だったり実家だったりとさまざまな事情から場所が限られていたため、ナンパやデートの途中で手っ取り早く物陰や畑の草むらの中で行為に及ぶ男女は比較的多かったのです。
前述したように着衣でのスピーディーな行為がほとんどだった時代ですので、もし誰かに見つかっても着物で隠してしまえばいいですし、そもそもこれが当たり前の文化なのでそこまで恥ずかしくはなかったのかもしれません。
江戸時代の性事情5選|吉原にあった性風俗はどんなもの?
吉原にあった性風俗①吉原遊郭の代表「女郎屋(妓楼)」
吉原にあった性風俗その1は、遊郭の大部分を占めた「女郎屋(妓楼)」です。庶民にはとても手の出ない花魁や太夫などの最高級遊女から、そこそこの値段で遊べる普通の女郎までたくさんの女性が在籍していた当時の風俗店です。登楼客(妓楼にあがる客)は店の前で好みの女郎を選び、指名して遊ぶシステムでした。
花魁や太夫などになると一見さんでは当然指名できませんし、いくら大金を積んでも、何度も足を運んで馴染みにならないと口すらきいてもらえなかったといいます。ただしそういった本当に高級なお店から、安い下級女郎ばかりのお店までさまざまだったようです。
また、これだけ多様な性文化があった江戸時代でもオーラルセックスは一般的でなく、このような女郎屋に所属する女郎のごく一部だけがしてくれるものでした。
吉原にあった性風俗②庶民の遊び場「局見世(つぼねみせ)」
吉原にあった性風俗その2は、「局見世(つぼねみせ)」です。江戸時代の一般庶民が「ちょっと奮発して」遊べる性風俗のお店で、切見世(きりみせ)とも呼ばれていました。
これは吉原の端に存在した女郎屋の一種なのですが、つくりは長屋形式で時間制、庶民でも手が出せないことはないお店なので、女郎屋としては最下級のものになります。
ひどい店だと土間に薄い藁を敷いただけの部屋で、一日何人もの客を相手にしていたといいます。年増や病気持ちなど、ちょっと事情のある女性もたくさんいたそうですが、それでも高級店と違って手軽に遊べるというので、それなりに繁盛していました。
吉原にあった性風俗③江戸のストリップ小屋「意和戸(いわと)」
吉原にあった性風俗その3は「意和戸(いわと)」です。小屋の中で女性が脱いだり性行為をして見せたりする、今でいう格安ストリップ劇場です。きらびやかな衣装を脱ぎ捨てていく姿を男性客は掛け声を発しながら眺め、ちょっとしたゲームなども行いつつ楽しんでいました。こちらも比較的低価格で遊べたといいます。
ここにいるのは、女郎上がりで流れてきた女性が多かったようです。ちなみにこの「意和戸(いわと)」は、日本神話・天照大神でおなじみの「天岩戸」をもじって「女(あま)の意和戸」と呼ばれていました。
吉原にあった性風俗④吉原遊郭の最下層「夜鷹」
吉原にあった性風俗その4は「夜鷹(よたか)」です。夜道で男性に声をかけて売春を行っていた女性たちで、もともと局見世などに所属した下級女郎が落ちることが多く、夜鷹が受け取る金額は数百円程度と、とても安いものでした。
年齢は10代~70代ほどとかなり幅広く、道端の茂みなどでござを敷くなどして性交渉をしていたようです。性病リスクもかなり高かったのですが、やはり需要はゼロではありません。彼女たちは吉原に限らず、全国各地にいました。
他にも船饅頭(ふなまんじゅう)という、川舟が岸から岸に渡るまでの間に事を済ませる、といったスタイルの夜鷹もいました。こちらも吉原近辺だけではなく、江戸の海辺などあちこちにいたといいます。女性に働き口がなかった時代、いくら性に奔放とはいっても、生活のために体を売るのは楽ではなかったでしょう。
吉原にあった性風俗⑤密会場所「裏茶屋」
吉原にあった性風俗その5は、裏茶屋です。簡単にいうとラブホテルに近いものであり、本来客をとってはいけない芸者や、その他妓楼関係者の男性たちが、人目を忍んでこっそり遊女と密会するために利用されていた場所です。そんな使われ方に似合わず、裏茶屋の造りはなかなか洒落ていたといいます。
江戸時代の性文化は驚きがいっぱい!
現代の感覚では信じられないほど、性に関して奔放だった江戸時代。知れば知るほど驚きに満ちています。あまり褒められた文化ではないのでしょうが、当時の人々はそれを当たり前の娯楽にして、日々の生活を思いっきり楽しんでいたのかもしれませんね。ちょっと好奇心で覗いてみたくなる、そんな江戸時代の性文化でした。
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