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秋の俳句24選!松尾芭蕉や正岡子規の有名な詩の季語や意味は?

更新:2019.06.21

秋のさみし気な様子を詠んだ俳句は、時代が変わっても心に染み入るような情緒あふれる魅力がありますよね。ここでは是非秋の季節を感じながら詠みたい有名な松尾芭蕉や正岡子規の俳句など、季語をふんだんに使った俳句をご紹介していきます。

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秋の自然に関する有名な俳句の意味解説【初秋】

秋が季語の有名な俳句①秋風やむしりたがりし赤い花(小林一茶)

秋が季語の有名な俳句、1つ目は「秋風やむしりたがりし赤い花」(小林一茶)です。秋風が吹く中に咲く、秋の赤い花が思い浮かぶような俳句ですね。

季語は「秋風」です。この俳句は小林一茶の娘が亡くなった後に詠まれた俳句です。娘のさとは、赤い花が好きでよくむしっては遊んでいました。

そんな娘の好きだった赤い花が秋風に揺れている様子を眺め、娘への思いを込めて呼んだような俳句です。なお赤い花とは秋に咲く赤いケイトウや彼岸花などと言われています。

秋が季語の有名な俳句②朝顔や一輪深き淵の色(与謝蕪村)

秋が季語の有名な俳句、2つ目は「朝顔や一輪深き淵の色」(与謝蕪村)です。この俳句の季語は「朝顔」です。朝顔と言えば、現代では夏を思わせる花ですよね。

しかし昔は現代とは少し季節の区切りが違った為、夏の風物詩である朝顔も秋の季語として扱われていたのです。現代と昔の認識の違いを感じ取るのも楽しいですね。

沢山咲く朝顔の花でも、一輪だけ特別深い淵の色をしている様子に、季節の趣を感じている俳句です。朝顔の花で秋の気配を感じるのは、今ではなかなかない情景です。

秋が季語の有名な俳句③荒海や佐渡によこたふ天河(松尾芭蕉)

秋が季語の有名な俳句、3つ目は「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」(松尾芭蕉)です。こちらの俳句は「天河(天の川)」が季語になります。

天の川も現代では夏の風物詩というイメージですよね。しかしこの俳句が詠まれた時代は、天の川が美しく見える季節は秋として認識されていました。

この俳句は、佐渡島の荒々しい海と空にまたがる壮大な天の川を詠んだ句です。空と海に広がる壮大な自然の美しさが目に浮かぶような、ダイナミックな一句ですね。

秋が季語の有名な俳句④ひぐらしのこえのつまづく午後三時(飯田蛇笏)

秋が季語の有名な俳句、4つ目は「ひぐらしのこえのつまづく午後三時」(飯田蛇笏)です。「ひぐらしの声」というと夏を思わせますが、実は秋の季語になります。

いよいよ夏も終わり、ひぐらしの鳴き声が聞こえるような季節は、もう秋の始まりです。午後三時にひぐらしの声を聴き、ふと秋を感じたような一句ですね。

「こえのつまづく」という独特な表現にも、飯田蛇笏のセンスを感じます。一見夏の季語に感じるひぐらしですが、この表現を使った秋の句は他にもあるので是非お調べくださいね。

秋が季語の有名な俳句⑤初秋の蝗つかめば柔らかき(芥川龍之介)

秋が季語の有名な俳句、5つ目は「初秋(はつあき)の蝗(いなご)つかめば柔らかき」(芥川龍之介)です。芥川龍之介と言えば小説家として有名ですが、このように俳句もたしなむ作家でもありました。

いなごといえば秋に現れる昆虫の一つです。田んぼなどをピョンピョンと跳ねるいなごを、ふと手で掴んでみたのでしょうか。「初秋の蝗」という季語を使い、季節の移ろいを表しています。

何を思っていなごを掴んでみたのかはわかりませんが、その柔らかい小さな生き物に思わず触れたくなったのかもしれませんね。芥川龍之介の小説については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。


秋の自然に関する有名な俳句の意味解説【中秋】

秋が季語の有名な俳句⑥柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)

秋が季語の有名な俳句、6つ目は「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)です。秋の情景を詠んだ俳句では、最も有名な俳句ではないでしょうか。

季語は「柿」で、意味は柿を食べていると法隆寺の鐘の音が鳴り、しみじみと秋を感じた、という様子を描いたものです。ちなみに柿と鐘の音には直接的なつながりがありません。

秋が旬である柿を食べながら法隆寺の鐘の音を聴くというのは、秋の情緒を感じる瞬間だったのでしょうか。なお正岡子規は大の柿好きでもあったという事です。

秋が季語の有名な俳句⑦なかなかにひとりあればぞ月を友(与謝蕪村)

秋が季語の有名な俳句、7つ目は「なかなかにひとりあればぞ月を友」(与謝蕪村)です。この俳句はどのような情景で何を感じたものなのか、まずはそこから解説しましょう。

季語は「月」です。秋と言えば中秋の名月もあり、最も美しく月が眺められる季節ですね。この俳句は一人孤独に月を眺めていますが、その楽しさを詠んでいる俳句です。

自分は一人孤独な存在でも、だからこそかえって月を友のように感じることができる、という意味です。一人で見ているからこそ、月を友人のように親しい存在で眺められるのかもしれませんね。

秋が季語の有名な俳句⑧何着てもうつくしうなる月見かな(加賀千代女)

秋が季語の有名な俳句、8つ目は「何着てもうつくしうなる月見かな」(加賀千代女)です。こちらも季語として「月」を詠んだ俳句です。加賀千代女女流作家で、女性ならではの繊細な目線で俳句を詠んでいます。

この俳句は、お月見の晩のとある風景を詠んでいます。現代よりも大きなイベントとして人気だったお月見の晩は、素敵な着物を着たりおめかしをしたりして、みんなが楽しんでいました。

しかしいざお月見の時間となると、誰もが月明かりに照らされ、うっとりと空を眺めるとても美しい顔を浮かべています。綺麗な満月の下では、例え何を着ていようと誰もが美しくなるという様子を描いた素敵な俳句です。

秋が季語の有名な俳句⑨名月をとってくれろと泣く子かな(小林一茶)

秋が季語の有名な俳句、9つ目は「名月をとってくれろと泣く子かな」(小林一茶)です。季語は「名月」で、小さな子供がいる風景を描いたほのぼのとした俳句です。

空に輝く見事な満月は、思わず手を伸ばして欲しくなってしまうほどですよね。小さな子供は、名月を眺めて「あのお月様が欲しいから取って欲しい」と泣いてねだっているようです。

現実には不可能な事でも、親にねだって泣き出してしまう子供の可愛らしさが伝わってきますね。名月は静かに眺めるものですが、こんな情景を楽しむお月見もいいかもしれません。

秋が季語の有名な俳句⑩行水の捨てどころなきむしのこえ(上島鬼貫)

秋が季語の有名な俳句、10個目は「行水の捨てどころなきむしのこえ」(上島鬼貫)です。季語は「むしのこえ」で、綺麗な音色を響かせる秋の虫たちが感じられます。

最近はほとんど見られませんが、昔の人は行水と言ってタライに水を入れた水浴びをしていました。その行水に使った水を捨てようとすると、あちこちから虫の声が聴こえてきました。

もし水を捨てたら、この虫たちの声を止めてしまいます。水の捨て所がなくて困っているようですが、捨てずに虫の声を聴いている優しさも感じられる一句ですね。


秋の自然に関する有名な俳句の意味解説【晩秋】

秋が季語の有名な俳句⑪この道や行人なしに秋の暮(松尾芭蕉)

秋が季語の有名な俳句、11個目は「この道や行人なしに秋の暮」(松尾芭蕉)です。季語は「秋の暮」で、晩秋のもの悲しさを感じるような一句です。

この道を歩いていても、行く人は誰もいない秋の暮、というさみし気な情景を呼んでいます。ただでさえさみしい雰囲気の秋の暮に、誰もいない道というのはますますさみしさを感じますね。

誰ともすれ違わず、誰にも会わない孤独な道を一人で歩く様子は、秋の情緒をしみじみと感じられそうです。秋の俳句は、このようにさみし気なものが目立ちますね。

秋が季語の有名な俳句⑫秋深き隣は何をする人ぞ(松尾芭蕉)

秋が季語の有名な俳句、12個目は「秋深き隣は何をする人ぞ」(松尾芭蕉)です。こちらも秋を代表する有名な俳句ですね。季語は「秋深き」です。

秋も深まってきた頃、秋の虫などの音色もだいぶ聞こえなくなり、静かになってきます。すると隣人の生活音や話し声などがよく聞こえ、ふと「隣の人は何をするのだろう?」と感じ取れるようになってきます。

人恋しい晩秋だからこそ、ふと身近な隣人の事さえも気になってしまうようですね。普段気にかけないような相手でも、なんとなく気になってしまうのが秋ならではの人恋しさです。

秋が季語の有名な俳句⑬一枚の紅葉かつ散る静かさよ(高浜虚子)

秋が季語の有名な俳句、13個目は「一枚の紅葉かつ散る静かさよ」(高浜虚子)です。季語は「紅葉」で、美しく色づいた紅葉が散る儚いさまを描いています。

最後の一枚になった紅葉もとうとう散ってしまい、その後にはただシンとした静けさが残るという情景を描いています。秋が終わり、いよいよ冬が来るという気配も感じられます。

どこかさみし気で静かな空気を持つ晩秋の情景を、一枚の紅葉が散りゆく様子で描いた俳句です。まさに秋の終わりと冬の始まりを感じ取るような俳句ですね。俳句に登場するような美しい紅葉を眺めたい方は、こちらの記事でご紹介している紅葉の見どころにも行ってみてくださいね。

秋が季語の有名な俳句⑭秋の夜やあまへ泣き居るどこかの子(杉田久女)

秋が季語の有名な俳句、14個目は「秋の夜やあまへ泣き居るどこかの子」(杉田久女)です。杉田久女は女性の俳人で、着眼点も女性特有のセンスが感じられます。

季語は「秋の夜」で、人恋しくもの寂しい秋の夜に、どこかの子供が親に泣き甘えている様子を歌っています。一見何気ない光景ですが、小さな子供も人恋しくなるようだとしみじみ感じているようです。

子供が泣き甘える様子を騒がしく感じる人も居るかもしれませんが、この句ではむしろそんな光景も秋の情緒だと感じています。秋の夜に聞こえる子供の泣き声もまた、趣があるようですね。

秋が季語の有名な俳句⑮秋風のふきぬけゆくや人の中(久保田万太郎)

秋が季語の有名な俳句、15個目は「秋風のふきぬけゆくや人の中」(久保田万太郎)です。季語は「秋風」で、人々が行き交う中秋の風が吹き抜けていく様子を表しています。

秋風と言っても秋の訪れを感じる風から秋の深まりを感じる風まで色々ありますよね。この句では、秋の深まり、そしてもうすぐ来る冬の始まりを描いているようです。


沢山の人が歩く人混みをさっと通しぬけていく晩秋の風に、さり気ない季節の移ろいを感じているようです。ささやかな瞬間から、季節の変化が読み取れるような俳句です。

秋の恋に関する有名な俳句の意味解説

秋の恋に関する有名な俳句①逢へぬ日を重ねて古都の月あかし(黛まどか)

秋の恋に関する有名な俳句、1つ目は「逢へぬ日を重ねて古都の月あかし」です。(黛まどか)です。黛まどかは現在も活動している女性の俳人で、父親も黛執という俳人です。

女性らしく恋愛のときめきを歌った俳句は、女性の心にきゅんと来るようなものばかりですね。この俳句の季語は「月」で、「月あかし」という言葉は見る人によって様々な解釈ができます。

会いたくても会えない相手に対する思いを何度も重ねつつ、古都・京都で月を眺めているのでしょうか。会えない相手への愛しい思いが伝わるようです。

秋の恋に関する有名な俳句②紅葉明りに見せ合ひて恋みくじ(黛まどか)

秋の恋に関する有名な俳句、2つ目は「紅葉明りに見せ合ひて恋みくじ」(黛まどか)です。こちらも同じく黛まどかが詠んだ、秋の恋を歌った俳句です。

情景としては、紅葉の季節に恋のおみくじを引き、友人同士でその結果を見せ合っている様子というところでしょうか。もしかすると、お互いに片思いをしているのかもしれません。

片思い中は切ないですが、恋のおみくじ一つで友人と楽しめるというのは、ある意味とても素敵なひと時です。紅葉の下恋みくじにときめく若い女性の姿が目に浮かぶようですね。

秋の恋に関する有名な俳句③つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋(飯田蛇笏)

カップル

秋の恋に関する有名な俳句、3つ目は「つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋」(飯田蛇笏)です。「汝が眼吻はなん」は「ながめすわなん」と読みます。

意味はずばり、「キスをしたい」という意味になります。つぶらな瞳をした自分の妻を思うと、早くキスをしたいと思ってしまう露の秋、という意味になります。

この俳句は大正三年に発表されたものですが、はっきりと「キスをしたい」という気持ちを表しているのは、非常に情熱的ですね。妻に対する強い愛情が感じ取れる俳句です。

小学生の秋に関する俳句の意味

小学生の秋に関する俳句①秋の夜に立ぱに輝く目玉焼き

小学生が詠んだ秋に関する俳句、1つ目は「秋の夜に立ぱ(立派)に輝く目玉焼き」です。小学生らしくシンプルな言葉で詠まれた、何とも可愛らしい俳句です。

秋の夜と言えばお月見です。夜空に浮かぶまん丸い黄色の月は、まるで目玉焼きのようではありませんか?この日の晩御飯は目玉焼きだったのでしょうか。

秋の夜空に立派に輝く満月は、まさしく目玉焼きです。子供の純粋な目から見た秋の風景を、可愛らしく表現したほのぼのとした一句です。

小学生の秋に関する俳句②秋の山夕日の絵の具でそまってる

小学生が詠んだ秋に関する俳句、2つ目は「秋の山夕日の絵の具でそまってる」です。秋の山が夕日の赤色に染まっていく情景を表した俳句です。

夕焼け色に染まる様子を「夕日の絵の具」と表現しているのが粋ですね。秋の夕焼けは、本当に絵の具で描いたかのように鮮やかな赤をしています。

自然の風景がまるで絵の具で描いたように見える様子を、綺麗な言葉で表現した俳句です。赤く染まる秋の山が、目の前に見えてくるようですね。

小学生の秋に関する俳句③ランドセルおろすとひらり紅葉かな

小学生が詠んだ秋に関する俳句、3つ目は「ランドセルおろすとひらり紅葉かな」です。ランドセルという言葉から、小学生ならではの情景を感じますね。

この俳句は、学校から帰りランドセルを下ろすと、知らない間に引っかかっていた紅葉がひらりと落ちた様子を描いています。きっと紅葉が綺麗な道を歩いて帰ってきたのでしょう。

帰り道では紅葉を眺めずにいたかもしれませんが、ランドセルと一緒に帰ってきた一枚の紅葉から、ふと秋を感じ取ったような俳句です。小学生らしい光景が感じられますね。

中学生の秋に関する俳句の意味

中学生の秋に関する俳句①曼珠沙華土手の劇場の主演女優

中学生の秋に関する俳句、1つ目は「曼珠沙華土手の劇場の主演女優」です。曼殊沙華(マンジュシャゲ)とは彼岸花の別名です。言い方を変えるだけでとても美しい響きになりますね。

お彼岸の季節になると必ず咲く曼殊沙華は、殺風景な土手を赤く華やかに彩ってくれます。そのあでやかな姿は、まるで美しい舞台女優のようです。

この俳句は土手を舞台に、そこに咲く曼殊沙華を女優に例えた、ユニークな視点が魅力です。豊かな想像力が感じられる、のびやかな感性の俳句ですね。

中学生の秋に関する俳句②落葉には木の物語がつまってる

中学生の秋に関する俳句、2つ目は「落葉には木の物語がつまってる」です。足元に広がる落ち葉を見て、その木がどのように育ってきたのかを感じるような俳句です。

普段は何気なく通り過ぎるだけで、それほど注目することのない落ち葉ですが、よく見るとそれぞれに色や形が違います。それぞれの木が持つ物語を表すようです。

いつも見過ごしてしまう落ち葉も、じっくりと眺めると一つひとつ違った魅力が楽しめそうですね。「木の物語」という言葉選びも、非常に素敵です。

中学生の秋に関する俳句③秋の風少しさみしいこのにおい

中学生の秋に関する俳句、3つ目は「秋の風少しさみしいこのにおい」です。秋の風にさみしさを感じるのは、古の俳人も現代の中学生も同じですね。

季節の変わり目を感じる瞬間は色々ありますが、風の様子が変わるというのは季節の変化を感じ取れる瞬間です。秋の風には、秋特有の匂いも感じられます。

何故だかわからないけど少し寂しく感じるような、秋の風の匂いを表した俳句です。シンプルな言葉ながら、季節の移ろいを肌で感じ取った瞬間が思い浮かびます。

秋の俳句を楽しんでみよう

秋を季語にした有名な俳句を集めてみました。人恋しくさみし気な秋ですが、だからこそ心に響く俳句が読める季節です。皆さんも有名な俳句を元に、秋の俳句を作ってみませんか?

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