中世ヨーロッパの貴族の男女の服装・衣装は?騎士/執事/庶民
更新:2022.03.05
時代ごとに服装は変化していきますが、中世ヨーロッパの貴族の服装や衣装はどのようなものだったかご存知でしょうか。よく映画やアニメなどで登場しますが、ご興味ある方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回男女ともに中世ヨーロッパの服装に焦点を当て、調べてみましたのでご紹介します。
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INDEX
中世ヨーロッパの貴族の男性の服装・衣装は?
中世ヨーロッパの貴族の男性の服装・衣装①チュニック
中世ヨーロッパの貴族が着ていた衣装は、たっぷりしたチュニックを基調にしたジャケットと、ぴったり体につくタイツです。チュニックは、現代の日本では女性に人気ですが、中世ヨーロッパのでは、身分の高い男性の服として大流行しました。どちらかといえば中性的で柔らかいテイストが、男性には好まれていたようですね。
また中世ヨーロッパの貴族や騎士たちは、先が尖って上にはねたピエロふうの靴を履いています。身分の高い人の靴であり、庶民には許されませんでした。騎士であっても普段着は次第に中性化し、薄化粧をして戦に出陣する者も珍しくなくなりました。厳つい甲冑と艶めかしい化粧顔のギャップにときめく乙女も多かったようです。
そのすぐ後、東洋から入ってきたブリオーという大きな袖と、ウエストで絞った丈の長いチュニックが流行します。騎士たちは争って髪を長くしてカールしだし、貴族間の男女の違いはズボンを見なければわからなくなりました。その姿が一大ブームとなり、男らしさを競っていた騎士たちは、美しさを競うようになっていきました。
中世ヨーロッパの貴族の男性の服装・衣装②ヴェストとエンブレム
中世ヨーロッパの貴族の男性が、戦場で甲冑の外側に着るサーコートは、凝った刺繍の旗やエンブレムを施されていました。このあたりから、憧れの貴婦人の身につけているものをもらって、旗や槍を飾る習慣も生まれています。上着にエンブレムをつける今日のブレザーも、そこからヒントを得ているようです。
そのころ、貴族たちには倹約を求めたものの、かえって見えないところで贅沢をする風潮がはびこります。ヴェストの裏に豪華な刺繍が施されたり、裏地布に上質のシルクが使われたりしました。中には宝石をふんだんに使ったり、見えないところで贅を競うおしゃれが流行しました。
中世ヨーロッパでは、1666年、貴族の男性の自由すぎる衣装を改めるため、チャールズ二世が「衣服改革宣言」を発令しました。司祭服のような黒い上着ヴェストと、コート、フリル付きの白いシャツ、半ズボン、タイというコーディネートが発端です。当時は長い巻き髪とのコラボでしたが、それが今日のスーツの始まりです。
中世ヨーロッパの貴族の男性の服装・衣装③スーツ
18世紀の貴族の男性は、金襴緞子やビロードのコートに、ヴェスト、半ズボン、シルクストッキング、タイの組み合わせでした。この定番の組み合わせが、今日のビジネススーツと同じなのです。靴はパンプス状の革靴で、フランス革命までのおよそ百年間、流行し続けました。
1750年以降、古代ギリシアの彫刻が発掘された新古典主義がブームになります。男性服も男らしさがテーマに変化しました。このあたりからから、スーツはぴったりとして長ズボンが主流にります。前が短い上着との組み合わせは、痩身で脚が長くないと似合わなかったため、男性用コルセットも開発されました。
19世紀には衣装の上着の前裾が長くなり、ズボンの幅が広くなります。その頃から、紳士に欠かせない手袋、ステッキ、カフスボタン、などの、小物のお洒落が流行します。紳士服の既成品も始まり、中流階級から労働者階級にまでスーツが普及しました。大衆がスーツを着るようになり、やがてイギリスから日本へ輸入されます。
中世ヨーロッパの貴族の女性の服装・衣装は?
中世ヨーロッパの貴族の女性の服装・衣装①ロココスタイル
18世紀のヨーロッパでは、豪華なお洒落は身分の高い女性特有でした。ファッションリーダーは王妃や貴族の娘でした。すべて大きく派手に仕上げるロココスタイルが主流で、庶民の女性が髪を見せるのはふしだらだと言われていたのに対し、見せるためのヘアスタイルは、貴族の女性だからこそ許される特権でした。
18世紀の王侯貴族の女性の衣装の特徴は、鯨の髭で作ったペチコートで、大きく広がったスカートですね。胸元の開いたガウン式のローブの下には、三角形の胸当て、肘にはレースたっぷりのパニエをつけ、襟や袖口はレースやリボンなど多彩に彩られていました。頭は巨大で、1度髪を結うと1週間から1か月結ったままでした。
この時代は、様々な化粧法や、つけホクロなども流行しています。美しさを競っているのか、奇抜さを競っているのかわからないところはありますが、目立たなければ見初められることもなく、若い女性にとっては涙ぐましい婚活でもありました。そして自画像のため、腕のいい絵描きには、大金が支払われていたそうです。
中世ヨーロッパの貴族の女性の服装・衣装②バッスルスタイル
ロマン主義の19世紀初頭では、肩幅がすぼまり袖のふくらみが下がってきます。フランス革命後、コルセットを使わないエンパイアドレスが生まれます。素材は主に薄手のモスリンでした。まもなくミシンや合成染料、既製服も出回りはじめます。このころから、お洒落は特別な人たちだけのものではなくなってきました。
鉄の輪を使った丸く大きいクリノリンは、19世紀後半には、後腰をふくらませたバッスルスタイルへと移り変わります。スタンドカラーが多く、細かった袖が、しだいにバルーン状のジゴ袖になります。バッスルスタイルは1890年ころまで一世風靡し、明治になって日本に初めて輸入されます。鹿鳴館のドレスです。
振袖用の友禅をバッスルスタイルに仕上げた日本のドレスは、ヨーロッパへ逆輸入されました。貴族の女性をはじめ、裕福な商家の奥様などが、こぞって購入したそうです。日本の染色は鮮やかでも、けばけばしくはなく、上品な華やかさです。西洋にない色合いや柄が愛され、ヨーロッパの東洋趣味の流行に大いに貢献しています。
中世ヨーロッパの貴族の女性の服装・衣装③モダンスタイル
18世紀からあった、神秘的な中国趣味、19世紀後半のパリ万国博覧会などから、ヨーロッパでも、東洋的なデザインが取り入れられました。日本趣味も流行し、服装も直線的なモダンスタイルは、日本の和服をモチーフにした衣装も見られます。第一次世界大戦を経験し、女性服にも合理性が求められるようになります。
女性のスカートは短くなり、脚線美が注目されるようになります。それでも20世紀にココ・シャネルの登場から、実用性と機能性を重視するようになるまで、女性の衣装は革命を繰り返すことになります。裁縫技術の向上で、古い服のリメイクもされました。現代のリメイク特集記事があるので、合わせてご覧ください。
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18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装・衣装は?
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装・衣装①騎士
服装が変わることは、時代が変わることではないでしょうか?そしてその変化には、必ず理由があります。18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装の流行は、王侯貴族が発信していました。お洒落が、経済的に豊かな人のためのものだった時代です。中でも騎士は、男性のファッションリーダーとして注目されていました。
西洋の騎士の服装といえば甲冑姿を思い出しますね。実は鎧は非常に重くて、フル装備だと50㎏を超えるそうです。中世ヨーロッパの騎士は、貴族の男性として、まさに花形でした。騎士が甲冑を装着するのは戦の時のみですが、命を落とすかもしれない悲壮感と、一種の制服のハロー効果が相まって、貴婦人たちにモテました。
騎士というのは馬に乗って戦うのが仕事ですから、中世ヨーロッパの騎士は総じて、ローマ帝国みたいに派手な甲冑ではありませんでした。ただし製鉄技術は発達していたので、半分裸だったギリシャその他の国よりは、防御する知恵もあったといえます。鉄色の甲冑に、思い思いのお洒落をほどこすのは、19世紀以降です。
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装・衣装②執事
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)にもいた執事は、元来ボーイ兼給仕です。18世紀は半ズボンの姿でした。礼儀としては、主人の時代より流行の遅れたデザインの服を、わざと着用していました。
お給仕の時不潔にならないように、頭は剃り、上からカツラを着用する者も多かったようですが19世紀後半では、平服となります。ただし主人との区別は変わりなく、やはり主人より流行遅れの服を着ました。主人をセンス良く見せるために、わざと不調和な色のネクタイとズボンを合わせるちぐはぐなコーディネートをしました。
19世紀後半までは衣装は黒が定番で、上着短めの黒い燕尾服を着た執事が、家政を取り仕切っていました。執事の服装は、元来黒い燕尾服とは限りません。黒い燕尾服が主流になったのは、19世紀に入ってからでしょう。また晩餐の給仕では、白いネクタイと黒の燕尾服でした。
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装・衣装➂庶民(男性編)
中世ヨーロッパ時代の庶民は、14世紀頃までローブという長めのコート状のものをを着ていましたが、18世紀になると、動きやすさを重視して余計なものは削られていく中で、男性はチュニックを変化させたブリオーと呼ばれる、羊毛で織った上着とタイツを着用するようになりました。これが「ブラウス」に進化していきます。
動きやすく工夫されたズボンと靴等、ファッションとしてだけではなく、動きやすさ重視の服に変わっていきます。農民の服装には16世紀初頭から大きなちがいはありません。男は単純な膝丈程度のチュニックと、ブラカエというゆったりした長ズボンなどの労働向けの服装です。
18・19世紀のヨーロッパでは、農民は地主や貴族からわずかな土地を借りる小作人でした。家族で労働し、自給自足の生活でしたので、お洒落をする余裕は基本的になかったといえます。とにかく動きやすく、粗末な服装でした。ウェストを補足見せるガードルも、貴族だけのお洒落でした。
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の服装・衣装③庶民(女性編)
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)の庶民の女性の服装は、無駄なものを極力省いた、ひたすら実用的な衣装です。最下層の女性が着るのは、ドレスの形さえしておらず、袋状の服の腰周りをひもでくくるものです。主に質の良くないウール製であり、染料なども使えないので、天然の茶色やグレーなど地味な色を着ました。
また、服装以外にも、髪を見せるのは庶民の女性にとって、はしたないとされ、常に頭巾をかぶって隠しました。時代を象徴する高く大きく結って見せる髪は、庶民の女性にとってはあり得ないものだったのです。
中世ヨーロッパの貴族の男性の服装からみるスーツの歴史
特権意識と中性美
18.19世紀のヨーロッパでは、お洒落をするのは王侯貴族など裕福な人だけでした。衣装が贅をこらしたものからシンプルな動きやすいものに移り変わるにつれて、どんな人でも楽しめるように変わっていきます。現代は男女差のない服装が珍しくありませんが、中性美は18世紀のヨーロッパのお城で実践されていたものです。
戦う騎士でさえも、刺繍やフリルなどを好み、贅沢に歯止めがきかなくなった時に、チャールズ二世が「衣服改革宣言」を発令し、シンプルでストイックな黒い衣装のコーディネイトが主流になっていきます。これがスーツの始まりです。ここから貴族の男性の服装は、黒子として女性を主役として引き立てる方向になっていきます。
ビジネスマンの制服としてのスーツ
1750年以降の新古典主義がブームから、男性の衣装も男らしさを追及するようになりました。きりっとしたダークカラーのスーツは、装飾のないところがかえって男らしい魅力を引き立てて評判になりました。そして既製品が生まれ、スーツはビジネスアイテムとして、庶民の間でも着られるようになりました。
中世ヨーロッパの貴族の女性の服装からみるドレスの歴史
特権階級のものだった豪華なドレス
18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)では、お洒落は特権階級のものでした。お金がなければ着飾れず、また服装自体も不自由さや、身分の縛りがありました。庶民は自由に好きな服を着るなどあり得ませんでした。決められたものに、なんの不満もない人のほうが多かったのです。ところが服装も歴史とともに進化します。
お仕着せの女らしさに別れを告げる
現代は下着も発達し、ウエストをギリギリ締め付ける服装で命を縮める危険性はなくなりました。スカートの裾は床を離れ、足の美しさを堂々と見せることで、女性も自由に羽ばたくようになり、それまで課せられてきたお仕着せの女らしさは過去のものになり、衣装は時代とともにこれからも進化を繰り返していくことでしょう。
中世ヨーロッパからの服装の流れ・自由にお洒落を楽しめる時代へ
今は、着たいものを着るのに何の制限もありません。好きな服装を自由に楽しめばいいと思います。18・19世紀のヨーロッパ(古代ローマ)から現代への服装の歴史は、私たちに多くのことを教えてくれます。たまには遠い昔のデザインなど取り入れてみても面白いのではないでしょうか?皆様!お洒落を楽しみましょう!
最近は古着をアレンジして、思い思いの服装を楽しむ人たちが増えました。ゴージャスなロココスタイルから、シャネルの唱えたチープシックを経て、現代は、いかにお金をかけずにお洒落を楽しむかという時代になってきているようです。ヘアアレンジなど、お金がなくても楽しめます。こちらを参考にしてみてください。
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