大正・明治時代の服装・ファッションの特徴9選!食事・暮らしの特徴は?
更新:2022.03.05
「昭和も遠くなりにけり」元号が変わる際に、ちまたにあふれることでしょう。それでは大正、明治時代はさらに遠ざかっていきます。文明開化の洗礼を受けた明治時代の暮らし、和洋折衷の服装・ファッションや食事のカルチャーショックを想像してみませんか?
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INDEX
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴は?
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴:①ヘアスタイル
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴として、一番にあげられるのはヘアスタイルです。「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」という有名な都々逸(どどいつ)があります。徳川幕府の時代は鎖国政策を押し進めてきたため、一方では「江戸の成熟した文化が花開いた」とも言えます。
その後ペリーの黒船来港以来、日本人はカルチャーショックと戦い、諸外国と肩を並べるべく努力しました。その始まりが「ちょんまげを切る」ということです。この断髪の奨励はうまく行かず、公家や明治天皇が断髪を決断するに至って徐々に浸透していきました。一般男性にようやく普及したのは、明治20年頃からです。
POINT
都々逸(どどいつ)って何のこと?
江戸時代の末期から流行った俗謡のことです。7・7・7・5の4句 26文字で、主に男女の情愛などをうたった大衆の即興文学といっていいかも知れません。
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴:②下着
明治27年から明治28年にかけて、主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐって日清戦争がありました。この時に従軍した全国の農山村の男性が、故郷に戻ってからもメリヤス肌着を愛用し、シャツやズボン下が流行りました。それまで機械編み布地の既製品は、知られていませんでした。男性の和服から洋服への転換が楽になりました。
POINT
「メリヤス」って何のこと?
靴下をさすスペイン語の mediasとポルトガル語の meiasが語原の外来語です。編み物をする方はピンときますが、綿や絹で織られた伸縮するのが特徴の布地です。
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴:③フロックコート
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明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴としては、男性の洋装で「フロックコート」があります。黒色が正式で、そのほかにシャツ、ベスト、ズボン、ネクタイで礼装となります。明治時代は外国の賓客や外交官を接待する目的で、日本政府が「鹿鳴館」を建築しました。鹿鳴館で外国の風俗や習慣を学んだのです。
さらにさかのぼって、平安時代の服装がテーマの関連記事で、当時の時代背景を比べてみるのも面白いです。年号だけでは分からない歴史が垣間見えます。
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明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴:④インバネスコート
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明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴として、インバネスコートがあります。和服に合わせる男性用コートとして利用されました。ケープが肩にかかるデザインで「二重マント」や「とんび」とも呼ばれました。これは、お大尽と呼ばれるような裕福な男性が、着ることができた外套です。
POINT
お大尽の意味は?
お大尽とは、隠語で資産家やお金持ちのご子息で、「女遊びにお金を使う」「無駄に豪遊する」など、いわゆるスラングとして会話や表現に挟みこまれることが多い単語です。
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴:⑤ハイカラー
明治時代・大正時代の男性の服装・ファッションの特徴として、「ハイカラー(高い襟)シャツ」がありました。これは外国帰りの男性が好んだため、ハイカラーシャツ、スーツ、中折れ帽のスタイルが次第に流行しました。これが「ハイカラ」の語原です。日本人は「お国のため」に努力して、ファッションを変えていったのです。
POINT
スーツと中折れ帽
挨拶する時は必ず、帽子をちょっと脱ぐのが礼儀です。国会議員の麻生太郎さんは、中折れ帽がお好きですね。明治・大正の男性は麻生さんのようにスーツ&コート&中折れ帽がセットで当たり前でした。
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴は?
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴:⑥和服
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「文明開化」の明治時代は、国民の見本として官僚の制服に洋装が採用されました。現代と違って、当時の官僚と言えば男性のみです。そのため、女性は変わらずに和服を日常着として、身に着けていました。和服はゆるい感じで着こなしていたため、窮屈というより、着慣れた楽な服装です。
そのため肌があらわになることもあり、外国人の目を気にするように「裸体禁止法」もできました。現在ではこれも理解しにくい感覚ですが、服装だけではなく、考え方を変える必要がありました。
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴:⑦学生服
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴は女学生の服装です。女学生は教養ある女性の代表でした。当初は和服に日本髪の着流しスタイルでしたが、「裾が乱れやすく、はしたない」という問題がありました。そのため政府は、例外的に女学生に男性の袴の着用を認めたのです。
若い女性の新しいファッションに憧れる感覚や新鮮なセンスは、明治時代も現代も変わらないと思います。下記の関連記事で、どうぞ確かめてみてください。
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴:⑧イブニングドレス
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明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴は、鹿鳴館をはじめとした社交場でのイブニングドレスがあげられます。政府が率先して西洋化を押し進めたため、貴族の令嬢や婦人、芸者もドレスをあつらえました。お尻の部分(後ろの腰)を膨らませるバッスルスタイルが流行しました。
ゆったりと着ていた和服の下着は襦袢や腰巻でしたが、洋装を着るためにはコルセットが必要でした。上流階級の女性はみな「これもお国のため」と楽しむ以上に、努力をしたのです。旗本の庶子として生まれ、政治家であり外交官の妻となった陸奥亮子は「鹿鳴館の華」と呼ばれました。
明治時代・大正時代の女性の服装・ファッションの特徴:⑨モガ
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大正時代の女性の服装・ファッションの特徴は「モガ・モボ」抜きでは語れません。これは「モダンガール・モダンボーイ」の略です。西洋文化の影響を受けた若者たちの、最先端のファッションです。画像は和装に洋装のテイストが上手くミックスして、現代によみがえっています。時代を越えても、人を引き付けるセンスですね。
明治時代の食事の特徴は?
明治時代の庶民の食事は「三食シンプル」
明治時代の庶民は「三食シンプル」な食事でした。朝は「ご飯」「お味噌汁」「お漬物」といった感じです。さっぱりとしたお茶漬けもよく食べられていました。夜だけはおかずが「お漬物」ではなく、少しだけ手の込んだ「野菜などのお煮つけ」を食べました。毎日似たような献立と言えます。
明治時代に始まった「和製洋食」のある暮らし
明治時代の食事の特色としては「和製洋食」が少しずつ作られていったということです。横浜などの居留地では多くの外国人が住み始め、野菜も改良されていきました。「牛鍋」「オムライス」「とんかつ」「カレー」など、今となっては家庭の味となり親しんでいる多くのレシピが、庶民の家庭に広がっていきました。
明治時代に食べられた「あんぱん」の文明開化
明治時代に開発されたもののひとつに、「あんぱん」があります。それまでもビスケットのように固い「パン」はありました。木村家の初代木村安兵衛は酒蒸し饅頭をヒントに、ふんわりと柔らかい「酒種あんぱん」を開発し、明治天皇が向島に行幸の際に「桜あんぱん」が献上されました。これが「あんぱん」の歴史の第一歩です。
明治時代の暮らしの特徴は?
明治時代は混浴禁止
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明治時代の暮らしの特徴として、入浴の際は「混浴禁止」になったことです。庶民の家にはお風呂がなく、みな銭湯通いをしていました。ところが、日本人のこの文化に野蛮さを感じる外国人は驚き、それを知った日本人は「恥ずかしくないように」という意味で、それまでの混浴の習慣を禁止してしまったのです。
明治時代の自転車は高級品
明治時代の自転車は、高級品の代名詞でした。明治8年に、国産自転車の製造が始まりました。当初は木製の自転車でした。それまでの輸入自転車は、当時200~250円の価格で、現在の価値にすると400万円相当でした。そのため貸自転車屋なる職業も生まれ、当然女性が自転車に乗ることは、好ましく思われませんでした。
明治時代の文明の灯り
明治時代の文明開化は、じょじょに町と人の心にも灯りをともしました。家庭の灯りはそれまでの行燈からランプに変わり、明治4年には日本で初めて西洋式のガス灯の灯りが、銀座の街並みを照らしました。また、マッチが使われるようになったのも、明治時代からです。それまでは火打石をこすり、藁などに火をつけていました。
明治時代の情報のスピード化
明治時代には情報のスピード化を象徴する「鉄道」や「郵便制度」が出来ました。政府は国土の近代化をはかるためには、鉄道が非常に重要だと考えました。これにより時間や空間の捉え方が変わり、経済に大きな影響を及ぼしました。また明治4年に、東京と大阪間で官営の郵便事業が始まりました。それまでは飛脚の仕事でした。
POINT
飛脚の料金は?
佐川急便のマークで有名な「飛脚」ですが、当時は郵便や宅配便の役割をしていました。東京ー大阪間は3日かかりましたが、「仕立(チャーター便)」として、2日に急がせた場合の料金は銀700匁(約140万円)です!
江戸時代と明治時代の服装・ファッションの違いは?
江戸時代と明治時代の服装・ファッションの違いは和洋折衷にあり!
江戸時代と明治時代の服装・ファッションの違いは「和洋折衷」につきます。明治時代は暮らしのすべてが「和洋折衷」にある、と言っても過言ではありません。画像は「着物に洋傘」です。「着物にショール」「袴にブーツ」、男子学生は「着物+シャツ+袴」と日本の従来のものと、西洋のものが組み合わされました。
男性は軍服も含み、制服に洋装が採用されることが多くありました。明治、大正と続いて昭和の時代に入ると、銀座を歩く9割の男性は洋装でした。これに対して女性はというと、わずか2割にも満たなかったようです。明治時代に、洋装などの西洋文化に触れたのは、ごくごく一部の人々であったと言えます。
昭和時代の戦後になって、怒涛のようにアメリカ文化が入ってくるまでは、庶民の女性はまだまだ洋装に縁がありませんでした。昭和7年日本橋の白木屋で火事が起こり、着物の女性がロープをつたって降りる際に、裾がはだけないように気を使い、転落死の犠牲者が増えました。これをきっかけに下着をつけるようになったのです。
江戸時代と明治時代の服装・ファッションの違いは正装!
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江戸時代と明治時代の服装・ファッションの違いは正装です。明治11年に政府は「束帯などの和装は祭服とし、洋装を正装とする」という法律を作りました。女性の職業が限られた明治時代ですが、この法律により「看護婦」は洋服の制服を採用しました。たとえ裕福な華族であっても、和装から洋装への転換は大変でした。
洋装に似合うヘアスタイル、腰巻からコルセットなどの身体を締め付ける下着、洋装での作法、フォークとナイフのテーブルマナーなど、学ぶことに余念がありませんでした。
明治時代から続く「日本人のハイカラ」の心意気
明治時代は西洋文化の輸入により、西洋の文化や思想の啓蒙時代ともなりました。文学においてもさまざまな影響が見られます。それまでの文学とちがい、「話し言葉で小説を書こう」という流行にもなり、森鴎外や夏目漱石、樋口一葉などが輩出されました。人間の心の内面を題材にするようになっていったのです。
政治においては、幕府の大政奉還から明治政府の樹立により憲法ができ、家庭は団らんの場と変わり、生活は少しずつ便利になっていきました。現代の生活の基盤ができたのは、明治時代からと言われています。明治時代の和洋折衷の特色は、「良いものは受け入れ、良いものは残し」という日本人の柔軟な心を育てました。
モボやモガ、カフェーやダンスホールなど、ヨーロッパの影響を色濃く受けたファッションや、そのセンスは現代においても魅力的です。「近代的で機能的」「新鮮で斬新」「日本古来のものとの融合」、それが明治時代から続く日本人の「粋(いき)なセンス」かも知れません!
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