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ボディコンの意味とは?バブル期のファッション・特徴も紹介

更新:2022.03.05

「OK!バブリー!」という言葉が聞かれるようになった最近ですが、皆さんはボディコンが流行っていたバブル時期をご存知でしょうか?今回はワンレンやトサカ前髪の女性がボディコンを着てジュリアナ東京に繰り出す華やかな時代を振り返ってみたいと思います。

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バブル時代を象徴するファッション!ボディコンとは?

そもそもボディコンの意味とは?

「ボディコン」とは身体のラインが強調されるように作られた女性向けの洋服です。かなりピッタリとしているので、スタイルの良さが際立つというメリットがある一方、スタイルに自信がない女性にとってはハードルが高い洋服です。

今では考えられないほど日本の景気が良かった「バブル景気」と呼ばれる時代は1986年から1990年ごろまで続きました。景気が良いということはサラリーも良く、人々の遊び方も派手になり、それに伴ってファッションも華やかになりました。ボディコンはそんなバブル期を象徴するファッションです。

ボディコンの起源は何?

「ボディコン」というのは「ボディーコンシャス」の略語です。英語表記では「body conscious」になりますが、これは「身体を意識している」「身体に注意を引く」という意味になります。

ファッションの世界で「ボディーコンシャス」という言葉が正式に使われたのは、1981年のミラノコレクションで「アライヤ」というブランドのデザイナーが発表したニットのドレスです。以降日本でも「アライヤ」のボディコンドレスは人気が出ましたが、いわゆるバブル期の派手なボディコンとは少々テイストが異なります。

ボディコンの特徴的なデザインとは?

バブル時代に日本で大流行したボディコンは、バスト・ウエスト・ヒップのラインがくっきりと表れるのが特徴です。胸元は大きく開いて、ヒップラインに沿ったスカートの丈は太もも辺りまでが基本です。下着のラインが見えてしまうのが嫌で、Tバックを着用していた女性が多かったのもボディコンの流行と関係しています。

袖はノースリーブが多かったので、ブラジャー選びに苦労した女性も多かったです。ストラップレスのブラを着用したり、中にはノーブラでもバストの形を良く見せるようにガムテープをさらしのように巻いていた女性もいました。今クラブに出かけるファッションとは全く違うようですね。

どんなカラーのボディコンが流行っていたの?

バブル時代のボディコンは、原色が基本です。一番人気は赤でしたが、赤と言っても朱色やオレンジ系ではなくビビットな真っ赤です。リップの色とボディコンの色を合わせるテクニックも大流行していました。

他には黄色、ピンク、紫など派手めなカラーが多く、目が覚めるようなきれいな色のボディコンを着た女性が多かったです。またヒョウ柄やゼブラ柄といったワイルドな柄物のボディコンや、ゴールドやシルバーの光沢があるボディコンを着ている女性も目立ちました。

ボディコンに使われている素材とは?

身体にフィットするような伸縮性の高いニット素材が使われている率が高いです。しかし派手さを求める女性が多かったせいか、中には合皮やサテンなど艶があり目立つ素材が使われているものもあります。またスパンコールが散りばめられたボディコンで全身がミラーボールのような女性も見られました。


女性のバブル期のファッション(ボディコン)はどんな髪型?

バブル期の髪型①トサカ前髪

トサカとはニワトリの頭についている赤い部分のことです。バブル期の女性はトサカのように前髪を立ち上げて、ガチガチに固めていました。最近は中村アンさんのようにナチュラルに立ち上がった前髪をかき上げるヘアスタイルが人気ですが、バブル期の前髪はスプレーで固まっていたので、決してナチュラルとは言えません。

また前髪の半分をトサカにして、半分をすだれのように下ろす「すだれ前髪」も流行りました。指で毛束を作ってまとまりを持たせ、すだれのようにおろすのはテクニックを要するヘアスタイルです。昔の工藤静香さんのヘアスタイルがトサカ前髪+すだれ前髪の代表的な例です。

バブル期の髪型②ワンレン

「ワンレン・ボディコン・舘ひろし!」で有名なワンレンの正式名称は「ワンレングス」になります。髪の毛にシャギーや段を入れず全体的に同じ長さに揃えるヘアスタイルで、基本的にはストレートヘアのワンレンが主流でした。くせ毛の女性はストレートパーマをかけて、サラサラのワンレングスを目指す女性が多かったですね。

バブル期の髪型③ソバージュ

根元から毛先まで細かいウェーブのパーマがかかっているヘアスタイルを「ソバージュ」と言います。そもそもはフランス語の「sauvage」が起源で、日本語では「野生」という意味になります。言われてみれば細かいパーマがかかったソバージュのロングヘアは、ボリュームがあり野生的ですよね。

最近は「ネオソバージュ」といってバブル期よりもゆるめのパーマをかけた髪型が復活しつつあります。フワフワのソバージュヘアを無造作にかき上げるしぐさがバブリーな女性の特徴でもありました。そのような女性達は業界用語を使って話していましたが、今では死語となっている言葉も沢山あるのでチェックしてみましょう!

女性のバブル期のファッション(ボディコン)と特徴

バブル期のファッションと特徴①ボディコン

最近も身体にフィットしたシルエットの洋服はありますが、バブル当時のボディコンはとにかく派手で目立つという特徴があります。赤や黄色のビビットなカラーのボディコンは夜の繁華街でも目立ちますし、露出度の高いボディコンは男性の注目を集めました。

ただしボディコンを着こなすにはそれだけのスタイルを維持する必要があります。若い女性たちはボディコンを着るためにダイエットをして、メリハリのあるボディーをキープしました。バブル期の女性はいまだにパワフルと言われていますが、それはボディコンを着ることで自分に自信を持つことができたからでしょう。

バブル期のファッションと特徴②肩パッド


ボディコンの上に羽織るジャケットにも特徴があります。バブル期のファッションは、ウエストのくびれが目立つように肩幅を広くする逆三角形のシルエットにまとめるのが女性らしいとされていました。

肩幅を広く見せるためのアイテムが肩パッドです。現在でもジャケットやブラウスに肩パッドが入っている洋服はありますが、バブル期は今とは比べ物にならないほど大きな肩パッドが主流でした。もちろんOLさんのビジネススーツにも大きめの肩パッドがついていたので、全ての女性のシルエットが逆三角形という状態でした。

バブル期のファッションと特徴③ピンヒール

現在でもハイヒールは女性にとって勝負アイテムでもあります。ヒールの高い靴をを履くことで、背が高く、脚が長く細く、ウエストとヒップの位置を高く見せるというスタイルアップ効果があるからですが、それはバブル当時も一緒でした。

特に当時はやっていたボディコンはただでさえ身体のラインが強調される洋服なので、ヒールはマストでした。ヒールの高さは最低でも5㎝、高くて10㎝もあるピンヒールが人気で、はたから見れば歩くのも大変そうに見えたものです。やはりヒールを履くなら歩き方も重要なポイントですね。

バブル期のファッションと特徴④扇子

バブル期のファッションの特徴として挙げられるアイテムに「扇子」があります。普通の扇子は暑い時にバッグからさりげなく取り出して扇ぐ道具として使いますが、バブル当時は全く違う使い方をしていました。

バブル期の扇子と言えば、全長が50㎝ほどの大きなサイズで、赤や黄色のビビットなファーが付いた「ジュリ扇」です。ボディコンに身を包んでジュリ扇子を持ってジュリアナ東京に行く女性は、まさにバブルの象徴と言われています。今や仮装する時くらいにしか使わないレアアイテムですが、昔は女性の必須アイテムでした。

バブル期のファッションと特徴⑤派手なメイク

バブルと言えば「ワンレン・ボディコン・トサカ前髪」その次にくるのは「太眉」です。そもそも眉毛は流行メイクのポイントになる部位ですが、バブル時代には自分の眉毛よりもかなり太く描くのが主流でした。

眉頭から眉尻まで、太く濃い一直線の眉毛は、アイペンシルでは足りずアイシャドウを使って描くのがポイントです。その後細い山型眉が流行りましたが、最近はまた太眉が流行りつつありますね。

太い眉毛に合わせるのは真っ青なシャドウと真っ赤なリップです。ボディコンもそうですが、とにかく女性も自己主張が激しい見た目が流行ったので、メイクもとにかく派手な方が良いとされていました。現在のようにゆるくボカすナチュラルメイクでは、存在感を示すことができなかったのがバブル時代です。

女性がボディコンを着ていた・流行した理由

ボディコンが流行った理由①男性の気を引くため

バブル期に元気だったのは女性だけではありません。男性もバブルの波に乗ってお金をばら撒きながら生活をしているようなタイプが沢山いました。そんなお金持ちの男性の気を引くために、露出度が高く派手なボディコンを着ていた女性は多いです。


少しでもリッチな男性と結婚して玉の輿に乗るのがバブル時代のステータスでした。もちろんボディコンのおかげで望み通り玉の輿に乗った女性もいますが、ほどなくしてバブルが崩壊すると同時に転落した男性も多いので、玉の輿に乗ったと思ったら真逆の人生を送ることになったボディコンギャルもいるでしょう。

ちなみにバブルとは「泡」の意味ですが、当時の日本経済は好景気でまるで泡のように膨らんだ状態でした。しかし90年代に入りその泡に針が刺さったように弾けてしまい、華やかな時代は幕を閉じました。それと同時にボディコンに身を包んだはでは女性達も見かけなくなりました。

ボディコンが流行った理由②自分のスタイルに自信があるから

女性の洋服の中でも一番ボディーラインがはっきりとわかるのがボディコンですよね。なかなか着るのには勇気が必要ですが、バブル時代の女性たちは女性の武器でもあるセクシーなボディーラインをキープして、惜しげもなく見せることで自分に自信を付けたのです。つまり自信があるから見せなきゃ損!という感じですね。

そもそも日本女性は控えめでおくゆかしいというイメージがありますが、バブル期は非常にパワフルで自己主張が強い女性が多くいました。それはボディコンを着こなして男性達の目を釘付けにすることで得た優越感のおかげで、自分に自信を持てるようになり肝が据わっている女性が多かったからでしょう。

ボディコンが流行った理由③男に媚びない強い女性であることを主張するため

男性からどう見られるかを意識してボディコンを着ている女性もいましたが、逆にボディコンを着て派手な格好をしているのは男の為じゃないから!という女性も多かったです。堂々とボディコンを着こなす自身に満ち溢れた女性は、男性から声を掛けられることはただ単にステータスのひとつとしか考えていませんでした。

全ては強い女性であることを主張するための演出であり、つまり露出度の高いファッションに派手なメイクをしているだけで軽い女だと思わないでね!ということですね。悪い言い方をすれば「お高くとまっている女性」になりますが、実際はそのような女性であればあるほど見た目が美しいという特徴もありました。

ボディコンの聖地「ジュリアナ東京」とは?その場所は?

そもそもジュリアナ東京って何?

今で言う「クラブ」のような若者が集まるスポットが、バブル時代には「ディスコ」と言われる場所でした。ジュリアナ東京は日本で一番熱いディスコであり、芸能人やJリーガーが夜な夜な集まりボディコン女性と盛り上がっていました。

ダンスフロアの両脇には「お立ち台」という1mくらいの高さの細長いステージがあり、そこに上がって扇子を振り回しながら踊るのがボディコン女性です。お立ち台には女性しか上がれませんが、人数は限られているので、実は裏で女の戦いが繰り広げられていたそうです。

ジュリアナ東京はどこにあったの?

ジュリアナ東京はバブル当時「ウォーターフロント」と呼ばれ若者が集まるスポットが多くあった芝浦にありました。総面積1200㎡、収容人数2000人という大規模なディスコは、後にも先にもジュリアナ東京くらいでしょう。

ジュリアナ東京の音楽やダンスのジャンルって?

毎晩有名なDJがプレイしていたジュリアナ東京では、ユーロビート色が強い「ハイパーテクノ」と呼ばれる音楽が流れていました。これは日本独自のジャンルですが、名物DJジョン・ロビンソンのDJプレイはCDになり、バブル期のミュージックシーンを牽引しました。

お立ち台の上で踊るボディコン女性達は、センスを振り回しながら腰をクネクネさせるダンスが定番でした。一般的には「パラパラ」と言って、上半身を使って規則的な動きを繰り返すダンスが流行りましたが、ヒップホップやブレイクダンスなどとは違い特に運動神経がなくても踊れるので、多くの人に親しまれたようですね。

ジュリアナ東京のようにノリの良い音楽に合わせてダンスをするのが流行ったのはストレス解消になるという理由もあります。とは言え今再現しても果たしてストレスを解消できるかどうかは難しいところなので、自分に合った音楽を見つけてみましょう。

男性のバブル期のファッションは?

男性のバブル期のファッション①ダブルのソフトスーツ

バブル時代の男性の一張羅と言えばダブルのソフトスーツです。特にアルマーニやベルサーチといったハイブランドのスーツが流行りましたが、女性同様肩パットは大きめでした。また今とは違いオーバーサイズのハイウエストボトムが主流で、ウエストインしてベルトをキュッと締めていました。

男性のバブル期のファッション②胸元は見せるのがマスト

バブル時代の男性のカジュアルな服装と言えば、ポロシャツやVネックのニットにデニムが定番でした。これらトップスに共通点があるのにお気づきでしょうか?それは胸元が開いていることです。

ポロシャツのボタンは全開、カッターシャツなら3つまで開けて、Vネックは開きが広いのを着るのが基本です。そして極めつけは金のネックレスでしょう。バブル期にはクロムハーツなどのシルバーアクセサリーなどしている男性はほぼいませんでした。開いた胸元に金のネックレスが男のステータスだったようですね。

男性のバブル期のファッション③とりあえずイタリアンブランド

バブル期に突入する以前の日本はDCブランド全盛期でした。しかしお金持ちが増えてファッションにもラグジュアリーさを求める時代になり、国内ブランドよりも海外ブランド、特にファッションの聖地とも言われるイタリアンブランドの人気が高まりました。

その中でも群を抜いて人気だったのがアルマーニです。上質な生地を使い洗練されたデザインのスーツは、当時最低でも20万円以上しましたが、ボディコン女性の隣にいる男性は必ずジャケットの裏地にアルマーニのロゴが見えていました。今これを真似したところでモテるわけではないので男性の皆さんは気を付けてください。

バブル時代のボディコンは自信があるから着こなせる強い女性の象徴だった!

今はボディコンやワンレンと言えばネタとしか思えない時代になりましたが、バブル期の女性達にとっては流行の先端でした。しかし身体にフィットするボディコンを着こなすには相当スタイルが良くなければ無理です。バブル期の女性は努力をしてボディコンの似合う身体になり、自身に満ち溢れた毎日を送っていたのです。

ボディコンを真似するのはさすがに気が引けますが…その精神的な強さは見習うべき点があります。女性も堂々と自己主張ができる日本にしてくれたバブル時代の女性達に感謝しましょう!

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