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江戸時代の食事はどんなメニューだった?身分別に紹介|庶民/武士/大名

更新:2021.05.19

江戸時代の食事のメニューはどんなものだったのか気になりませんか?今回はそんな江戸時代の食事がどんなものだったのかを、庶民、武士、大名などの身分別に紹介していきます。また、どんなものが贅沢な食事だったのかや、食事の回数についても紹介していきます。

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身分別!江戸時代の食事メニュー

江戸時代の庶民の食事メニューはお米が主食

お米

江戸時代の庶民の食事メニューはお米が主食です。庶民の食卓には、ご飯と味噌汁と漬物が定番です。いわゆる一汁一菜です。必要なエネルギーは全てお米から摂取していました。成人男性の場合、1日でお米5合を食べていたと言われています。

また、同じ庶民の中でも農民は真っ白のお米を口にすることはなかなかできません。その理由は年貢としてお米を取られてしまうからです。農民は庶民の中でも貧しい生活だったため、農民はかて飯と呼ばれる混ぜご飯を食べて生活していました。お米は少量に雑穀やさつまいもなどを混ぜたご飯で節約をしていたそうです。

江戸時代の武士の食事メニューは二汁三菜が基本

二汁三菜

江戸時代の武士の食事メニューは二汁三菜が基本だったようです。ご飯、味噌汁、向付、焼き物、お吸い物、煮物と庶民に比べるとかなり豪華だったようです。ただしお城に勤めているような高級武官は、自分の口に食べ物が入る前に何度も何度も役人が毒見をするので出来立ての料理を食べることはできなかったようです。

また、下級の武士は庶民と変わらない食事だったようです。その理由はお城から貰える禄では生活ができないからです。そのため、町人から借金をしていたり内職をしたり、家庭菜園をして生活をしていたようです。そうなれば食事は一汁一菜がいっぱいいっぱいだったようです。

江戸時代の大名の食事メニューは二の膳までついていた

食事メニュー

江戸時代の大名の食事メニューは、二の膳までついていました。一の膳にはご飯、味噌汁、刺身、酢の物、煮物が乗っていました。そして、二の膳にはお吸い物と焼き物が乗っていました。焼き物は、キスの塩焼きに付き焼きと決まっていたそうです。

キスを愛用されていた理由としては、キスは漢字で鱚と書きます。喜ぶという字を使うので縁起がいいとして使われていたようです。また、毎月1日や15日には、鯛や鮃が頭や尻尾付きで鱚の代わりに出されていたようです。

大名は江戸時代の厳しい身分社会の中で最高位であるため、さすがに貧しいメニューを食べるということはなかったようです。しかし食事のマナーは厳しく躾けられていたようです。食事のマナーに関しては以下の記事も参考にしてください。


江戸時代の食事メニューの中で贅沢だったものは?

庶民にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお蕎麦

そば

庶民にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお蕎麦でした。江戸時代の庶民は基本的にご飯とお味噌汁とお漬物しか食べれていません。そんな中でごくたまに私用などで外に出かけて食べるお蕎麦はご馳走だったようです。

平均的に貧しい人が多い中でもある程度裕福で生活に余裕がある庶民が、外に仕事などででかけた時に食べるお蕎麦がたまにの贅沢品でした。しかし、農民はその中でもさらに貧しい立場にあり、一般庶民が毎日食べる白米を口にすることはできませんでした。そのため、農民にとっては白米が贅沢な食事でした。

農民にとっては白米を食べることが夢であり、白米を食べるために自分の幼い娘を売る農民をいたほどです。白米の夢と言えば、白米を食べる夢を見た場合の夢占いについての記事が以下で紹介されています。興味がある人はそちらも参考にしてみましょう。

武士にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお魚

魚

武士にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお魚でした。武士の中でも貧しい武士も多く、そんな武士は前述したように家庭菜園をして採れた野菜やお漬物が食事のメインです。魚は月に2回程しか食べられない武士も多くいたようです。

特にお魚は安売りの時に購入して食べられるかどうかという人が多かったようで、塩焼きとして食べていたようです。家庭で魚を捌いて刺身などにするということはあまりしていなかったようです。

大名にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお寿司


お寿司

大名にとって江戸時代の食事で贅沢だったものはお寿司でした。大名の中でも貧しい大名や裕福な大名などがいましたが、庶民などに比べると比較的贅沢なものを食べられていました。そんな大名は基本的にお膳に自分が食べたいものを注文することができました。しかし、その食事にお刺身は出せるのですがお寿司は出ません。

そのため、参勤交代などで出かける時にお寿司屋さんへ出向き食べるお寿司が一番の贅沢だったようです。お寿司を外食で食べる食文化はこの頃に定着したとも言われています。

貧しい人の江戸時代の食事メニュー

江戸時代に貧しい庶民の食事メニューは味噌汁のみ

味噌汁

江戸時代に貧しい庶民の食事メニューは、味噌汁のみでした。基本的にお漬物すら食事として出せない庶民もいました。お米とお味噌汁のみで食事を終わらせていた庶民も平均として多く存在していたようです。

しかし、商人などは意外にも商いが繁盛しているケースが多く、外食をしたりしていた人も多いようで、江戸時代の商人の暮らしを支えていたのは商人だったようです。これは、江戸時代はお金よりもお米の方が大事だという文化でした。しかしながら商人にとってはお米よりもお金の方が生活に欠かせませんでした。

この文化の違いが商人を庶民の中でも比較的裕福にしていったようです。中には武士などにお金を貸し付けている商人や不動産を営んでいるような人もいたようです。

江戸時代に貧しい武士の食事メニューは漬物のみ

武士の食事メニュー

江戸時代に貧しい武士の食事メニューは、漬物のみでした。武士は比較的貧しい生活をしている人の方が多かったようです。家庭菜園をして育てた野菜を漬物にしてご飯、お味噌汁、お漬物という食事が平均して多かったようです。

これは、お城から貰える給料だけでは生活ができなかったからだと言われています。また、武士は奥さんや子供にしっかりとご飯を食べさせて自分はご飯を食べないで節約をしたりして家計を助けていた武士が多かったようです。このことから、『武士は食わねど高楊枝』ということわざができた程です。


江戸時代に貧しい大名の食事メニューは家庭菜園の野菜

野菜

江戸時代に貧しい大名の食事メニューは、家庭菜園の野菜でした。大名の中でも参勤交代などで貧しい生活を余儀なくされた大名は数多くいます。大名の生活の平均は貧しい生活だったようで、それは家光の参勤交代が原因のようです。

そんな貧しい生活をしていた大名は自分の土地で家庭菜園をしいる大名が多かったようです。そのため、江戸時代は家庭菜園をしている家庭が多いという文化だとも言えます。そして、大名の土地は下級武士の土地よりも広いのでそれだけ多く野菜が採れます。つまり、漬物にして長期保存しなくても生野菜として食べれました。

身分別!江戸時代の食事の回数

江戸時代の庶民の食事の平均回数は2回

食事の回数

江戸時代の庶民の食事の平均回数は2回でした。朝は暖かいご飯でおかずはお味噌汁と漬物だけです。ご飯を炊くのは1日に1回だけで、お昼は冷めたご飯とお味噌汁や魚を焼いたものをいただいていました。基本的に夜は早く寝ていたため、夜ごはんという概念はなかったのです。

江戸中期に大きな火事があり、その時にたくさんの家財を直したりするために商人などが夜まで働かなければいかないことになりました。夜遅い時間まで明かりを灯すという文化を取り入れることで夜ご飯という概念が生まれ、江戸中期から幕末は明かりの文化のおかげで1日3食食事の時間があったようです。

江戸時代の武士の食事の平均回数は2回

食事回数

江戸時代の武士の食事の平均回数は2回でした。主に昼に活動をしていた武士には夜にご飯を食べるという文化はありませんでした。江戸中期から幕末にかけても武士は基本的に1日2回の食事であり、庶民の食事文化とは全く違っていました。

特に参勤交代中は道中の食事の節約などもしなければならないので夜は早く寝ていたとも考えられています。また、夜は特にやることがなかった武士だったので通常から早く寝ていて朝起きるのが早かったと考えられます。

江戸時代の大名の食事の平均回数は3回

食事回数

江戸時代の大名の食事の平均回数は3回でした。特に将軍ともなると贅沢な食事を行っており、現在と変わらぬ1日3食食べていたようです。しかし、やはり貧しい大名は将軍とは食文化が違い、1日2食でお昼ご飯がメインだったようです。

昼間に活動をすることが多かった大名は朝食よりも昼食でしっかりとカロリーを採っています。朝はある程度で済ませ、昼間に白米とおかずでしっかりと栄養を摂っていたため、おかずもお昼が一番多かったようです。しかし、幕末になると討幕の影響もあり、そこまでいい食事はできていなかったようです。

江戸時代の食事の値段は?

江戸時代の食事の値段①お蕎麦は1食400円

蕎麦

江戸時代の食事の値段の1つ目は、お蕎麦は1食400円だったということです。江戸時代のお金で言うと16文でした。1文が25円なので400円という計算になります。ちなみに天ぷらそばはおよそ800円でした。今の立ち食い蕎麦屋の値段から見ると少々割高だったようです。

さすが庶民の贅沢品というだけあり、値段はそこそこに高級であったことが伺えますが、現在の価値とそこまで変わらなかったのが、鰻です。うな重はおよそ2800円程度でした。値段が変わらなかったということは、もしかしたら江戸時代では今ほど高級な食材ではなかったのかもしれませんね。

江戸時代の食事の値段②串団子は100円

団子

江戸時代の食事の値段の2つ目は、串団子は1本100円だったということです。スーパーで売られている団子は3本くらい入っていて100円ですが、地方などに遊び行って食べる団子は1本100円で売られていることもよくあります。これらを考えると今とそう相場は変わらないようです。

また、庶民の中でも気軽に食べられるお菓子として人気も高く、よく時代劇で見るような茶屋もちらほら存在していたようです。醤油の発達のおかげでみたらし団子が人気だったと言われています。

江戸時代の食文化を知ろう

いかがですか?江戸時代の食事の文化について紹介してきました。今回の記事を参考にして江戸時代の食事に興味を持って知識を深めていきましょう!

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