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【男女別】平安時代の貴族・庶民の服装15選/狩衣 /束帯/直衣/十二単

更新:2022.03.05

「雅な平安時代」「紫式部の源氏物語」などを連想する、遠い平安時代の伝統の服装はどんなスタイルだったのでしょうか?「古くて新鮮」「斬新な着こなし」は気になるものです。時の流れをつないで、衣装に思いをよせて、少しばかりロマンチックな歴史の旅をしてみましょう。

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平安時代とは?

平安時代の壮大な歴史

一言で「平安時代」といっても実はまだまだ不明な歴史は多いのです。「鳴くよウグイス平安京」と語呂合わせで覚えた794年から、「いい国作ろう鎌倉幕府」の1192年までのおよそ400年もの間が平安時代と呼ばれています。天下泰平と呼ばれた江戸時代が約265年ですので、その1.5倍の長さです。

余談ですが、平安時代の次にくる鎌倉幕府の成立は1192年ではなく、1185年だという説も推進されています。そのため「いい箱作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせができました。

平安時代の時代背景とは?

長岡京から平安朝に移り、天皇親政のもと国風文化と言われる源氏や平氏が活躍した時代です。その後、武士文化に傾いていく訳ですが、この時代の代表的な人物は桓武天皇、藤原道長、平清盛、源義明、源頼朝などの歴史の表を支える重要人物や、歴史の陰で大きな役割を果たしたと言われる、聖徳太子や空海などもいます。

平安時代は民衆に関する書物がないと言って良い程です。そのため、平安時代=平安時代の貴族文化や都のイメージがほとんどです。 わずかにアニメ映画の「アテルイ」で庶民生活が描かれていますが、「源氏物語」「陰陽師」などの映画で表現される平安時代の方がしっくりきます。関連記事で西洋の古い時代と比べてください。

平安時代の貴族文化とは?

天皇を中心にとりまく貴族は「藤原氏以外は出世できない」という絶望的な状況でした。また東日本大震災と同等のレベルの貞観地震(869年)が起きたのもこの頃です。仏教の「絶望的な終わりの世界が来る」という「末法思想」も広く信じられるようになりました。

「行く川のながれは絶えずして」と方丈記でも無常の世界を表現しています。かたや華やかな寝殿造りや「ひらがな」も生まれたことで、女性を含めた壮大な文学サロンが広がり、優雅な貴族文化が花開いた時代と言えます。

【女性】平安時代の貴族の服装3選

平安時代の貴族の服装:①十二単


平安時代の貴族の服装と言えば、「十二単(じゅうにひとえ)」がすぐに思いつきます。本当に十二枚着ていたのか、という疑問もあります。基本は唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)などです。

正式には「五衣唐衣裳(ごからぎぬいしょう)」という名称です。下に長袴をはき、腰に裳を付けて後ろに垂らせば出来上がりです。十二単とはいうものの、十二枚衣装を重ねない場合も、寒くて十六枚位重ねた場合もあったということです。「十二」という数字はごろがいいから使われたという説があります。

平安時代の貴族の服装:②小袿

平安時代の貴族の服装に小袿(こうちぎ)があります。これは平安時代以降に、唐衣に代えて裳と一緒に着用した上着です。広い袖が特徴です。皇后を意味する中宮(ちゅうぐう)はじめ、身分の高い女性に許されたゆったりした衣装です。

平安時代の貴族の服装:③壺装束

平安時代の貴族の婦人の外出着に「壷装束(つぼしょうぞく)」があります。これは開いた衣装ではなく、「つぼめて着用する」という意味です。小袖(かっこ)や袿(うちき)を重ねています。動きやすくするため、衣装をからげ、持ち上げて腰のあたりで紐で結んでいます。掛帯(かけおび)、薬を入れた掛守、杖もセットです。

【男性】平安時代の貴族の服装3選

平安時代の貴族の服装:④狩衣

平安時代の貴族の服装に、狩衣(かりぎぬ)があります。もともと狩りの時に着用して、活動的であることから公家の普段着として定着しました。この狩衣姿では御所への参内(さんだい)は認められませんでした。現在は神職の衣装として残っています。

平安時代の貴族の服装:⑤束帯

平安時代の貴族の服装に、束帯(そくたい)があります。これは天皇を始めとした貴族の正装です。束帯は「昼(ひの)装束」と呼ばれています。束帯の衣装で、下着や裾を大幅に省いたり、ゆったりとした袴に変えると「宿直装束(とのいしょうぞく)」になります。これは「衣冠束帯(いかんそくたい)」と呼び、区別します。

POINT

宿直(とのい)とは何のこと?

そこに泊まり込んで、夜の番をすることです。現在でいう警備員の役割です。


平安時代の貴族の服装:⑥直衣

平安時代の貴族の服装に、直衣(のうし)があります。これは「直(ただ)の衣」の意味から、天皇を始めとした貴族の平常服とされました。ただし、原則として公卿(くぎょう)と呼ばれる「位(くらい)」の高い者、あるいは天皇のお気に入りと言われるような、いわゆるエリートは、この平常服での参内が許されました。

平安時代の貴族の生活は?

平安時代の貴族の結婚

平安時代の貴族は、3回夜這いをされるとめでたく結婚となります。庶民の場合は子供が出来たら結婚です。それまでは隣に両親が寝ていても、夜這いは知らんふりをする、という現代の常識では考えられないものでした。寿命も短いため、女性は13歳、男性は15歳から適齢期という感じでした。

POINT

夜這いってなんのこと?

女性が寝ているところを勝手に襲ってしまうことです。その後は占いを見ながら、予定を立てたりします。

平安時代の貴族の遊び

平安時代の貴族は、さまざまな儀式や遊びが生活のすべてでした。和歌や音楽をたしなみ、季節ごとに花見や月見の風流な行事、けまりやすごろく、貝合わせや囲碁などもありました。比較的自由な生活なので、男女とも「噂話」と「恋愛」が一番の楽しみだったのかも知れません。

平安時代の貴族の恋愛

平安時代の貴族の恋愛は、「文(ふみ)」と「占い」が重要な位置を占めています。文の才能やセンスがなければモテませんでした。そもそもお互いの姿を見ることはなかなかできず、特に女性はいつも御簾の後ろで、扇を持って顔を隠してお客さまと会話するのが普通でした。男性が女性を見初めるのは容姿より黒髪が理由でした。

【女性】平安時代の庶民の服装3選

平安時代の庶民の服装:⑦小袖


平安時代の庶民の服装で、代表的なものは「小袖(こそで)」です。現代の感覚でいう「着物」のことです。貴族にとっては下着でしたが、庶民にとっては日常の働き着でした。動きやすく丈の短い着物と想像すれば良いでしょう。

平安時代の庶民の服装:⑧袴

平安時代の庶民の服装に、「袴(はかま)」があります。袴は貴族にとっては下衣(したごろも)であり、現代においても略式礼装です。平安時代の庶民といえば、ほとんどが農民です。そのため袴とは言っても、「絞り袴(しぼりばかま)」と呼ばれる裾を絞って丈の短いものを農作業時に利用していました。

平安時代の庶民の服装:⑨褶(しびら)

平安時代の庶民の服装に、「褶(しびら)」があります。貴族に仕える身分の低い女房(にょうぼう)は筒袖の着物で、前垂れ(まえだれ)の原型のようなものを身に着けていました。

POINT

平安時代の女房とは?奥さんのこと?

女房(にょうぼう)とは、朝廷や貴族社会において仕えた奥向きの女性使用人のことです。雛飾りにおける三人官女の立場です!

【男性】平安時代の庶民の服装3選

平安時代の庶民の服装:⑩小袴

平安時代の庶民の服装に、「小袴(こばかま)」があります。着丈が短いものですが、膝位の丈の短い「腰切袴(こしきりばかま)」もあります。一般に庶民は男女とも、木綿や朝などの丈夫な生地で、無地が多く、模様があったとしてもせいぜい二色程度の質素な服装です。

平安時代の庶民の服装:⑪直垂

平安時代の庶民の服装に、「直垂(ひたたれ)」があります。筒袖の上着に、丈の短い袴姿です。烏帽子や、鞭、すねに巻く 脛巾(はばき)などの服装は、名称は知らなくても時代劇ではお馴染みのスタイルです。平安時代は庶民の労働着でしたが、やがて鎌倉時代には武士の日常着となっていきました。

平安時代の庶民の服装:⑫貫頭衣

平安時代の庶民の服装では、農作業時などに「貫頭衣(かんとうい)」が動きやすく一般的だったと言われています。「貫頭衣(かんとうい)」とは布の中央に穴をあけて、頭を通すスタイルです。衣服の基本形のひとつで世界各地の社会で見られます。平安時代の農民の姿は、絵巻もなく不明な点も多いのです。

【番外編】平安時代の職業別の服装3選

平安時代の職業別の服装:⑬桂女

平安時代に桂川の近くに住んで、捕れた川魚を売っていた桂女(かつらめ)と呼ばれる女性がいました。今でいう企業家かも知れませんね。そのうち魚に限らず野菜などを商売にする女性も、そう呼ばれるようになりました。普段着に、頭には木綿の布で後ろから前に結んだスタイルが見られました、

平安時代の職業別の服装:⑭白拍子

平安時代の女性の職業として良く知られているのが、白拍子(しらびょうし)です。源義経の愛人、静御前の名前は聞いたことがあると思います。遊女が男装の衣装で歌舞を演ずる、今でいう芸人です。貴族のお屋敷に出入りすることも多く、教養や見識の高い人が見受けられました。平清盛や後鳥羽上皇の愛妾にも白拍子がいます。

平安時代の職業別の服装:⑮巫女

平安時代の女性の数少ない職業として、巫女があります。天照大神(あまてらすおおみかみ)が閉じこもった岩の外で舞を奉納したのが巫女の始まりと言われています。平安時代の巫女は好みの色の袴をつけていました。当時の風俗を描いた「年中行事絵巻」の中では、紫色や緑色の袴をつけていたことが分かります。

603年に聖徳太子が制定した「冠位十二階」の中では「紫」が高貴な色とされています。次に「青」、その次が「赤」です。巫女はもともと占いで神の言葉を告げる役割がありました。そのため高貴とされる赤が室町時代の初期に定着していったという説もあります。明治維新後の政府の宗教定義のと共に、赤に決定されました。

平安時代の衣装に思いをはせる

平安時代というと、華やかな貴族文化と、それに連なる華やかな十二単がすぐ思い浮かびます。冷暖房も十分でなかった平安時代は、夏は薄い単衣を羽織っただけで肌が透けて見えたそうです。「栄花物語」には藤原家に仕える女房が、おしゃれを楽しむあまり、20枚も重ね着をして批判されたという話もあります。

いつの時代もファッションを楽しむ姿は、女性の憧れや笑顔のエッセンスが詰まっていますね。日本女性は、平安時代方から連綿と、色を重ねるセンスを磨いてきたのですね。

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