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平安美人の条件11選|平安時代の女性の顔や化粧と美人像は?

更新:2019.06.21

平安美人は現代ではブスと言われることが多いですが、平安時代の美女にはたくさんの条件が求められていました。どのような女性が周囲の人に美人像という印象を与えられたのか、人気のある顔や化粧はどのようなものだったのか、平安美女のメイクを再現する方法などを紹介します。

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平安美人の条件11選

平安美人の条件①一重で切れ長な目

平安美人の条件の1番目は、細長い目です。平安時代の絵画に描かれているような細い線のような目が好まれており、一重で切れ長な目を持つ女性が美人とされていました。

現代では、切れ長の目よりも丸くて愛らしい印象を与える丸目が良いとされています。そんな丸目にするためのメイクや切れ長の目の特徴などを詳しくお伝えしている記事を紹介しますので、ぜひ合わせてご覧ください。

平安美人の条件②小ぶりでツンと尖った鼻先

平安美人の条件の2番目は、小ぶりでツンと尖った鼻先です。俗にいう鼻っ柱の強そうな鼻ではなく、小さく控えめでおしとやかな印象を与えつつも、鼻先がツンと尖った女性としての気品を彷彿とさせるような鼻が平安時代の女性に求められる魅力的な鼻であるとされていました。

平安美人の条件③小さめの口

平安美人の条件の3番目は、小さめの口です。平安時代の女性が描写される際には、唇全体に口紅を塗っている女性は登場しません。唇の中央部分に控えめに口紅を塗る女性が多く、そういった控えめで自己主張をし過ぎない女性が美人の条件であると考えられていました。

平安美人の条件④ふっくらとした顔

平安美人の条件の4番目は、ふっくらとした顔です。ふっくらとした顔の中でも、頬の下の部分が膨らんでいる「しもぶくれ」と呼ばれる頬が平安美人の条件であるとされていました。おたふくのような肉付きの良い頬が平安美人の条件とされていることは、現代の感覚からすると理解できないという人が多いです。

平安美人の条件⑤女性らしいぽっちゃり体型


平安美人の条件の5番目は、ぽっちゃり体型です。平安時代に描かれていた絵画のほとんどはぽっちゃり体型で、ふくよかな体つきをした女性ばかりです。こういったことから現代のモデルさんのようにガリガリの女性は美人とは認められなかったと言われています。

平安時代は今のように食べ物が豊かな時代ではなかったので、ガリガリの女性は不健康なイメージを与えたと考える人もいます。ふくよかなぽっちゃり体型の女性の方が、栄養もしっかり摂っていて、元気な子供を産んでくれるという考え方があったと言われています。

平安美人の条件⑥奥ゆかしく控えめな性格

平安美人の条件の6番目は、奥ゆかしく控えめな性格です。平安美人の条件とされる外見の中にも現れているように、当時の女性には控えめであることが求められていました。

また、自慢話や下世話な話などを好む女性は品がないと考えられていたので、情緒ある奥ゆかしい女性が美人の条件とされていました。奥ゆかしくて控えめな女性が美女の条件とされるのは現代にも通じる美人像であると言われています。

平安美人の条件⑦長くてきれいな髪

平安美人の条件の7番目は、長くてきれいな髪です。平安時代の絵画でも多く見られるように、長くてきれいなサラサラヘアーが美女の条件とされているのは、今も昔も変わらない女性の魅力と言えます。

黒髪のサラサラロングヘアーが好まれたのは、夜に月明りの下できれいに見えて、男性を虜にする妖艶さを演出する効果があったためだと言われています。

平安美人の条件⑧教養

平安美人の条件の8番目は、教養です。平安時代の女性は家族以外の人間に容姿を見せる風習がありませんでした。そのため、御簾(みす)と呼ばれるきめの細かいすだれ越しに話をしていたので、会話の上手さや知識の豊富さなどの教養が平安美人の条件であったとされています。

平安時代は今の時代とは異なり、美人の要素として占める教養の割合がかなり大きかったと言われています。その中でも和歌が最も重要であると考えられ、人間性や情緒の豊かさをはかる基準とされていました。

また、字を書けることも大きなポイントの1つであったり、楽器ができることも教養の物差しと考えられていました。女性は琴、男性は笛の演奏が上手いことが教養の持ち主であることを意味しました。そのため楽器が上手い男女が集まると、互いに演奏をしたという話もあります。

平安美人の条件⑨化粧はおしろい(白粉)


平安美人の条件の9番目は、化粧がおしろい(白粉)だったことです。平安時代は昼間でも建物内が暗かったとされており、その中で目立つような化粧が求められたことから、平安時代の女性はおしろい(白粉)と呼ばれる極度に白い化粧をしていました。

しかし当時のおしろい(白粉)は、現在の化粧品のように良質のものではなかったので、時間が経つにつれて乾きがひどくなり、顔から剥がれてしまうような化粧道具しかありませんでした。

笑ったり怒ったりして表情を変えると化粧が剥がれ落ちてしまうため、平安美人は扇子や着物で顔を隠しながら表情をできるだけ変えないように人と接していたとされています。

平安美人の条件⑩引眉(ひきまゆ)

平安美人の条件の10番目は、引眉(ひきまゆ)です。引眉とは、元々の眉毛を抜いたり剃ったりして失くした後に、元の位置よりも高いところに横長の円の形をした眉毛を描くという眉の化粧方法です。「麻呂(まろ)」などとも呼ぶ人もいます。

平安美人の条件⑪きれいな声

平安美人の条件の11番目は、きれいな声です。家族以外の人に姿を見せることがなかった平安時代の女性は、御簾(みす)と呼ばれるきめの細かいすだれ越しに話をしていたので、その声のきれいさが美人の条件とされてきました。

また女性の魅力として教養もかなり重視された平安時代では、教養が試される和歌についても詠む声がきれいだと、魅力的な女性だと考えられていました。

歴史上の平安美女は?

歴史上の平安美女①小野小町

歴史上の平安美女の1人目は小野小町です。小野小町は、世界三大美女の一人として数えられる日本を代表する美女であり歌人です。百人一首でも小野小町の歌が残っているの詠んだことがある人は多いと言われています。

しかし小野小町に関する絵画は、小野小町の死後に描かれたものであり、本当の姿を知っている人はおらず、「深い教養を持っていたことが美人と称された原因ではないのか?」といった声もあります。


歴史上の平安美女②紫式部

歴史上の平安美女の2人目は紫式部です。紫式部は源氏物語を書いた人ということで有名です。紫式部は当時の権力者であった藤原道長に、とても可愛がられていたという話が残っているため、美人と言われています。

また紫式部は作品の中で、自身について言及していません。このことから、平安美人の条件の1つである奥ゆかしくて奥ゆかしく控えめな性格の持ち主であったと想像することができます。

小野小町と同じく、紫式部も卓越した教養の持ち主だったので、そういった観点でも美人としての評価にかなりの加点がされていたと考える人も多いです。

平安時代以降の美人像は?

鎌倉時代から戦国時代までの美人像

平安時代の後に続く、鎌倉時代から戦国時代までの美人像については、大きな変化は見られなかったと言われています。切れ長の目やサラサラのロングヘアー、眉毛の位置などほぼ変わりなく時代が移っていったとされています。

江戸時代の美人像

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歌川国芳『源氏雲浮世画合 清玄尼』【篝火】 Kuniyoshi Utagawa『Gengikumo-ukiyo-eawase Seigen-ama』 #歌川国芳 #源氏物語 #浮世絵 #日本画 #Kuniyoshi #ukiyoe #japaneseart #japanart #art_of_japan_ __________________________________________________________ 清玄桜姫物(せいげんさくらひめもの)とは、歌舞伎の芝居における世界のひとつ。京都清水寺の僧清玄が高貴の姫君桜姫に恋慕して最後には殺されるが、その死霊がなおも桜姫の前に現れるという内容。 この芝居の実説については明らかではない。しかし古くは寛文13年(1673年)に古浄瑠璃の正本『一心二河白道』(いっしんにがびゃくどう)が出版されており、のちに歌舞伎でも元禄11年(1698年)、歌舞伎作者時代の近松門左衛門が同名の外題で脚本を書き京都で上演されている。江戸での清玄桜姫物の古い例としては享保11年(1726年)3月の中村座で上演された『婚礼音羽滝』(こんれいおとわのたき)がある。 『けいせい入相桜』(けいせいいりあいざくら) 清玄桜姫物のひとつ。二代目中村芝翫の清玄、四代目中村松江の桜姫。庵室の清玄が桜姫に迫る場面を描く。天保6年(1835年)1月、大坂角の芝居。春梅斎北英画。 その概略としてはおおよそ次のようである。まず清玄が清水寺において桜姫を見染め言い寄るが、それによって寺を追放され、桜姫には逃げられる(清水寺の場)。そののち清玄はさびれた庵室に住む。そこへ桜姫が偶然来合わせ、清玄は桜姫を見てなおも恋慕の情を訴えるが、桜姫の家に仕える者(たいていは奴)に殺される。しかし清玄は死してなお桜姫に執着し幽霊となって現れる(庵室の場)。 なお作品によっては清水寺の場に、清水清玄(しみずきよはる)という若侍が出てくる。この清玄(きよはる)は桜姫とは相愛の仲であるが、事情があってこれを世間に知られたくない。それを悪人たちに暴かれそうになるが、桜姫の侍女などがとっさの機転で、桜姫に恋慕しているのは清玄(きよはる)ではなく僧侶の清玄(せいげん)であるとして、その場を切り抜ける。僧の清玄も最初は人助けになるのならとあえて濡れ衣を着るが、そのうち本気で桜姫を恋しく思うようになり、破戒して桜姫を追い回す…という筋があった。 しかしこれだけでは当時一日かけて行う芝居の内容にはならないので、たいていの場合、この清玄桜姫に他の芝居の筋を混ぜた。そうすることによって一種のお家騒動物に仕立てたのである。特にその中では隅田川物の芝居がよく使われた。現在でも上演される『桜姫東文章』や『隅田川花御所染』などがそうである。また河竹黙阿弥作の『黒手組助六』も、もとは『江戸桜清水清玄』(えどざくらきよみずせいげん)という清玄桜姫物の一部だった。他には所作事においても三代目坂東彦三郎、三代目中村歌右衛門は清玄桜姫の芝居の最後に『娘道成寺』を加えたが、それは殺された清玄の亡魂が白拍子となって鐘供養の場に現れるという筋書きであった。さらに他には大切の所作事で清水清玄(しみずきよはる)と桜姫が葱売(しのぶうり)の姿となって落ち延びようとするところへ、僧の清玄(せいげん)の亡魂が桜姫と同じ姿で現れるという、『隅田川続俤』の大切そのままの趣向で演じる例もあった。

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江戸時代の美人像は、浮世絵に見られるように、それまでよりも高い鼻が好まれるようになったと見られています。また、眉毛の形は大きく変わり、小顔の人や丸顔の人は三日月のような形の眉毛を好み、大きめの顔の人は太めの眉毛を好むなど、顔に合わせた眉毛を好むような風潮になったと言われています。

幕末以降の女性は現代に通じる美人像

現代美人の画像

幕末以降は現代にも通じる美人像であったとされています。残っている写真を見る限り、現代でも美人と言われそうな人が、当時の美人として認識されていたことが垣間見えます。

特に楠本イネさんの娘である楠本高子さんは、「銀河鉄道999」のメーテルのモデルになった人と言われており、残っている写真を見ると、とても素敵な人であることがわかります。

明治時代以降は、西洋文化が流入したことや、美人コンテストが開催されるようになったこともあり、ほぼ現代と変わらない美人像であることが確認できます。西洋の服が似合うスレンダーないで立ちに、大きな二重の目、スッと鼻筋が通った高い鼻など、現代の美人に通じるところが多々あります。

平安美人の再現方法は?ブス扱いされるのはなぜ?

平安美人の再現はおしろい(白粉)で上手く再現できる

平安美人の再現はおしろい(白粉)で上手く再現できます。平安美人の再現には、その特徴的なメイクを駆使することが重要であり、おしろい(白粉)と呼ばれる肌を真っ白にする化粧を強調することで、平安美人を再現できます。

また、平安美人は昔の純日本人顔という感じの、のっぺりとした顔が特徴的ですので、そのあたりを強調することでうまく再現できます。顔や鼻、口などが平坦で地味になるようなメイクをすることで、再現性が高くなります。

平安美人がブス扱いされる理由は当時の絵画

平安美人がブス扱いされる理由は当時の絵画です。当時の日本は鎖国状態であったため、外国からの文化が入ってくることはありませんでした。その中でも交流があった中国からの影響を受けて、絵の描き方やぽっちゃり系の女性が美しいとされる風潮が広まったと言われています。

そういった絵画を見て「平安美人はブスだ」と考える人が多いのですが、その一方で、「源氏物語の読む際の視点を変えると、現代の美人に通じる特徴があるのではないか?」と考える人もいます。今となっては平安美人がブスだったのかどうか、実際のところはわからないことが残念だと感じている人が多いです。

現存する平安時代の絵画を見ると、平安美人は太っちょでのっぺりとした顔立ち、細い目、特徴的な眉毛などから、「麻呂(まろ)」などと呼ばれてブス扱いされることが多い傾向にあり、悪い意味で再現されることもあります。ネット上でも以下のような平安美人をブスだと揶揄する再現メイクの動画があります。

平安美人の良いところを見習って時代に合わせた女子力を磨きましょう

平安美人は化粧の仕方やサラサラヘアー、色白な肌など、時代に合わせて自分自身を魅力的に見せることができるように努力してきました。今から約1,000年も前の時代には、十分な化粧道具やケア用品はありませんでしたので、相当な頑張りがあったと考える人も多いです。

美に対する価値観は時代に合わせて変化していくので、そんな平安美人を見習って、今の時代に合った美人を目指し、毎日女子力に磨きをかけることが大切です。今日よりも、もっと素敵な女性になれるように、女に磨きをかけていきましょう。

最後に女子力をアップするためのメイクポーチの中身や機能的なコスメポーチなどを詳しく紹介している記事をお伝えしますので、ぜひ合わせてご覧ください。

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