無償の愛の意味とは?あなたは見返りのない愛を信じますか?
更新:2021.05.25
無償の愛とはいったいどんな意味なのでしょうか。あなたは無償の愛にどんなイメージを持っていますか?見返りのない愛って存在するの?理解しているようで実はわからないことだらけの無償の愛について考えましょう。今あなたが恋人や家族、友達に対して抱いている愛は無償の愛なのでしょうか?
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INDEX
無償の愛とは?
無償の愛の意味を説明できますか?
「無償の愛とは?」と質問されて答えられる人はどのくらいいるのでしょうか。確実に答えられるという人は少ないのではないでしょうか。ここでは大事なことなのに意外と知らない「無償の愛」について考えます。
意味は?
辞書で「無償の愛」という言葉の意味を調べてみましょう。辞書によって表現は多少変わりますが、たいていは読んで字のごとく、利益を求めない愛情ということになります。
類義語は?
無償の愛を辞書で調べると、類義語として「見返りを求めない愛」、「本当の愛」、「まことの愛」、「 大慈悲」、「アガペー」、「真実の愛」といった言葉があげられます。
言いたいことはわかるけれど、わかるように説明してといわれたらやはり困ってしまう、抽象的な言葉ですね。これらの言葉を聞いて、あなたは無償の愛にどんなイメージを抱きましたか?
そもそも愛と恋とは何が違うの?
愛と恋は違うもの
愛と恋は別物です。誰もが一度は考えるテーマだと思います。特に恋愛に夢中になっている時や恋愛がうまくいかなくなり始めた時、考える人が多いのではないでしょうか。思春期の恋に恋するお年頃にも考えたことがあるという人もいるかもしれませんね。
ここでは大人として冷静に恋と愛の違いについて考えます。漠然とはわかっていても、その違いを説明でいる人は少ないかもしれません。でも、大きな違いがあるのです。
恋とは相手に〇〇してほしいと思うもの
恋というのは相手に何かしてほしいと思う感情の芽生えです。「私のことを見てほしい」、「私のことをずっと好きでいてほしい」といった感じです。つまり「見返りのある愛」が恋というわけです。
「〇〇してほしい」という気持ちがあるから、自分磨きや相手に何かしてあげたいという思いが心に芽生えるのです。つまり恋とは基本的に異性との関係において起こる感情です。相手のためにと行動している様子は愛も恋も変わりなく見えますが、そもそもの出だしの感情が愛と恋では違うのです。そこに大きな違いがあります。
愛は相手を受け入れること
愛には相手に〇〇してほしいという気持ちはありません。相手のすべてを自分の中に受け入れ、自分と同じように相手のことも好きになる、それが愛なのです。
相手のことを好きになるという自分の意志を尊重し、自分のことも愛している、そこに愛が生まれるのです。愛に見返りはありません。相手のことも自分のこととして考えるのが愛の基本なのです。
愛はすべての人が対象になります。彼、彼女、夫、妻、両親、子ども、友達などすべての人が愛の対象になるのです。相手のことを受け入れてその人のことを認め肯定する気持ちが愛なのですから。恋と愛の間には大きな違いがあるということがわかっていただけたでしょうか。
恋と愛、どっちがいいの?
恋と愛、どっちがいいのと聞かれて答えは出ません。もし異性に対しての感情が恋から始まったとしても、長い月日を重ねていくうちに愛に変わるということもあります。その逆で、愛から始まった関係が恋に変わることもあります。どちらがいいかと比べることはできないのです。
「恋愛」という漢字は先に「恋」が来て次に「愛」が来ます。つまり、「恋愛」という言葉には恋から始まって愛に発展するという意味が込められているのです。見返りを求める愛が無償の愛に変わるのです。そんな関係になれる相手に出会えたら最高ですね。
具体的に考える「無償の愛」の意味とは?
見返りを求めない
赤ちゃんができたと分かったとき、産まれて目の前にその姿をあらわしたとき、あなたはどのような気持ちになるでしょうか。大切に大切に育てていきたい、どんなことがあっても守ってあげたいと思うでしょう。
それは自分自身の心における決意にも似た感情であり、その気持ちこそが無償の愛なのです。例えば、産まれたばかりのかわいい我が子を目の前にしてあなたは「私はとってもあなたを愛するから私に対して〇〇してほしい」と思うでしょうか?
思わないですよね。無償の愛とはそういうことなのです。自分発信の愛、それを相手に押し付けることなく、相手にもその見返りを求めないのが無償の愛なのです。
自分が犠牲になれる
結婚したから女性が仕事を辞めて主婦に専念する、という時代はもう終わりましたが、やはり妊娠出産は女性の大仕事なのでいざという時には男性が仕事をし、女性が家庭を守るという立場にならざるを得ないことがあります。
事を大事に思ってきた女性にとって、それは自己犠牲の何物でもないでしょう。それを快く受け入れるという人は自分が犠牲になるということも厭わない女性です。妊娠出産はさすがに男性にはできない仕事なのですが、子育ては男性にも参加することができます。
男性にとって子育てをする時期は仕事も軌道に乗り責任も出てくる時期です。正直なところ子育てを優先するというのはまだまだ難しい世の中です。それでも子育てと仕事を天秤にかけて子育てを優先する場合、それは男性にとって自己犠牲をいとわない行動と言えます。
どんな犠牲を払っても、相手を守る
親が子を守る、男性が女性を守る、女性が男性を守るなどなど、守るということにはたくさんの立場が存在します。小さな子がペットをかわいがるのも守っている行動のひとつです。
自分の遊びの時間をちょっと割いてペットのための餌をあげたりするのは、どんな犠牲を払っても相手を守るということといえます。大げさなことかもしれませんが、無償の愛は小さなころから誰の心の中にも育っているのです。
無償の愛の由来は?
キリスト教が説く「無償の愛」とは
キリスト教が説く無償の愛の意味を詳しく説明しようとすると、とてつもない時間を要することになります。そこでここでは簡単にかいつまんで説明することにします。
「困った時の神頼み」という言葉があるように、誰でも困ったときには神様にお祈りをします。神様は目には見えません。もちろん何も言いません。それでもお祈りをすることで神様は無条件で誰でも救ってくれると私たちは思います。
これを神様の無償の愛といいます。神様に救われて心が落ち着いた時、私たちは他の人のことを愛することができるようになるのです。無償の愛によって心の苦しみを取りのぞいてくれる、それが神様の役割であるというのがキリスト教の考え方です。
大事なのは自分の意志
キリスト教における「無償の愛」にとって一番重要になるのは、「自分の意思によるものか」ということです。自分の意思で「彼を愛する」、「我が子を愛する」と決めたらその時点で相手に対しての無償の愛が生まれたと言えます。
をいうと、自然に生まれた愛に無償の愛というのは存在しないというのがキリスト教における無償の愛の考え方なのです。感情だけではなく自分の意志が存在して初めて無償の愛が生まれるということなのです。
見返りを求めてしまう理由
最初は無償の愛だった
誰でもそうですが、本気で人を愛するときに最初から見返りを求めているという人は少ないですね。相手のためなら何でもできると自己犠牲も厭わない、犠牲とも思わない、そんな気持ちでいられることを幸せに思うでしょう。
自分の意志で人を愛し、自分の意志で目の前の人を大切にしよう、自分のことよりも相手のことを優先していこう、そんな無償の愛を最初はだれでも抱くのです。
ある時芽生える「見返り」の気持ち…
どんなに愛していても、無償の愛をずっと持ち続けるのは難しいものがあります。「私はこんなに彼のことを愛しているのにどうして彼は答えてくれないの?」とか「俺はこんなに彼女に尽くしているのに、どうして彼女は俺のことを大事に思ってくれないんだろう?」という気持ちが芽生えてしまうことがありませんか。
これが「見返り」の気持ちなのです。自分の思いに対して相手からの反応が欲しい、自分の気持ちに見合うような良い反応が欲しいという気持ちが少しでもあらわれたら、それはもう無償の愛の終わりを迎えたということなのです。
見返りを求めない無償の愛を貫くには?
相手と自分を分けて考えない
愛することを覚えた時、そこに相手と自分の間に対する壁はありません。相手のことを自分の中に受け入れ、愛するのです。それが無償の愛です。自分と相手が一体になっていた無償の愛の状態の時には見返りを求めることはありません。
しかし、相手は相手、自分は自分と分けて考え始めるようになると相手に対しての不満や見返りを求める気持ちが生まれてくるのです。私たちは自分に対して見返りを求めることはありません。しかし、他人には見返りを求めるのです。
相手を束縛しない
相手を自分のことのように考えることと、相手が自分の思いにこたえてほしいという気持ちは似ているようでまるで違います。相手を自分のことのように考えることには見返りのない愛がありますが、相手が自分の思いにこたえてほしいという気持ちには相手を束縛し、見返りを求める気持ちがあります。
相手を束縛するということは、相手に自分の思い通りになってほしいという見返りを求める気持ちの表れですから、無償の愛は少しも存在しないのです。
自分のことを愛しましょう
自分のことを愛していますか?自分のことを愛せなければ、他の人を愛することはできません。たとえ愛が芽生えたとしても、そこには無償の愛はありません。
なぜかというと、無償の愛は自分の意志で相手を愛すると決め、その意思を一番大切なものとするからです。自分を愛せない人に自分の意志を大切に思えるはずがありません。
手に見返りを求めるのは自分自身に愛が不足しているからです。自分のことをしっかりと見つめ、自分のことを愛する気持ちを育みましょう。そうすれば自然と無償の愛を持てるようになります。
見返りのない愛とは!無償の愛をテーマにした映画5選
①レオン
都会に暮らす孤独で不器用な男を演じるジャン・レノと孤独な少女を演じるナタリー・ポートマンの純愛がテーマの作品です。ふたりにあるのは見返りのない愛です。見終わった後に残る切ない気持ちが、私達に無償の愛について考えさせてくれます。
②そして父になる
我が子として6年間育てた息子が実は他人の子どもだった年った時、あなたは今までずっと育ててきた子を取りますか、それとも初めて会う血の繋がりのある子を取りますか。親として見返りのない愛の行方を描いた作品です。涙なしには見られません。ハンカチ必須です。
③ゴースト/ニューヨークの幻
二人で過ごす毎日が始まった途端に彼は死んでしまう。死んでもなお彼は彼女を愛し続け、生きている間に伝えられなかった思いを彼女に告げて天国へ旅立っていきます。ここまで愛される彼女にうらやましさを感じるくらい無償の愛を感じられる映画です。
④フランケンウィニー
科学オタクで、映画作りが大好きな10歳の少年ヴィクターが主人公の映画です。亡くなった愛犬スパーキーをヴィクターがよみがえらせたことで起こる騒動を描いた作品です。少年ヴィクターと愛犬スパーキーの間には無償の愛が確かにあった!映画を見て一番に感じられることです。
無償の愛というのは大人だけに与えられた感情ではありません。子どもだって動物だって持っているとても素敵な感情なのです。むしろ無償の愛を素直に表現できるのは大人ではなく子どもや動物なのかもしれません。
⑤リリーのすべて
「女性として生きたい」と愛する夫が言った時、あなたが妻だったら受け入れることができるでしょうか。夫の切実な思いを複雑な気持ちで聞き、そして受け入れていきます。それは妻にとってとても難しく思い悩む決断であったことでしょう。
しかし妻が女性としていきたいという夫の気持ちを受け入れることができたのは、夫に対する見返りのない愛がそこにあったからです。妻が夫を受け入れた強い意志に無償の愛を強く感じます。夫は異性として、そして人間として妻に愛されていたということを実感できる映画です。
まとめ
いかがでしたか。あなたがもし無償の愛の意味について考えているのだとしたら、まず自分のことを振り返ってみましょう。自分のことを愛し、受け入れていますか。そこが無償の愛の根っこの部分なのです。
無償の愛を相手に求める時点でそれは無償の愛とは言えません。まずは自分を愛し、自分の意志を尊重し受け入れること、そこからすべてが始まるのです。自分を愛しましょう。そして相手に無償の愛をささげましょう。
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