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中庸の読み方・意味・語源とは?

中庸の読み方と意味について

道

「中庸」とは「ちゅうよう」と読みます。意味は、「極端ではなく、調和している様子」「偏ってなく、中央にいる」ことです。何事も極端に走るとよくありません。バランスが良い事が大事だという思想から生まれた言葉です。

よく「中庸」を「平凡である」「平均的である」という意味で使っていることがありますが、これは誤解です。中庸の意味を知れば、中庸は平凡とは遠い、特別な状態であることがわかるでしょう。

中庸の語源①『論語』

本

中庸という言葉の語源を辿ると、中国の哲学書の一つである『論語』が書物に出てきた初めての例です。『論語』は紀元前6~5世紀に活躍した哲学者で、儒教の祖である孔子と、その弟子の言葉をまとめたものです。17世紀に入ると、論語は宣教師によって翻訳され、モンテスキューなどの思想家にも影響を与えました。

その論語の中で、「中庸の徳たるや、それ至れるかな。民鮮きこと久し」という孔子の言葉があります。これは現代語に訳すと「偏りもなくバランスよく行動できる人は、人徳者です。しかし、今ではそんな人は少なくなってしまった」という意味になります。

孔子のこの言葉は、紀元前の昔の人も「昔はよかった」と言っていると、クスリとくる言葉です。同時にこの例文によって「中庸である」という事が、いかに難しく高度な事であるかを知る事が出来ます。

中庸の語源②『礼記』

読む

「礼記(らいき)」も儒教の本で、主に「礼儀」に関する事をまとめた物です。この本の中にある「中庸」という節のタイトルが、現在も使われている中庸の語源です。

これを書いたのは孔子の孫である子思であると言われていますが、定かではありません。この『礼記中庸篇』には、中庸がいかに徳が高いものか、その意味をくわしく解説しています。

中庸の語源③メソテース

読書

儒教は東洋哲学の一つですが、西洋哲学にも似たような意味の思想があります。紀元前4世紀のギリシャ哲学者アリストテレスも、行動や感情の中間にいるのが良いと説いています。たとえば「勇気」というものは「蛮勇(無鉄砲)」と「臆病(慎重)」の中間であるという意味です。

アリストテレスはこれを「メソテース(中間)」と呼び、英語では「Golden Mean」または「Happy Mean」と言います。日本語ではこれを「中庸」と訳しました。現在ではこれが中庸の語源と意味の一つとなりました。

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中庸という言葉の使い方について

口で説明するのは簡単

話を聞く

儒教の中庸と、アリストテレスの中庸では、意味が少し違います。厳密に言えば、アリストテレスのメソテースは「中庸」の「中」の部分で、「中間」と言う意味です。

中庸は、大小や上下のちょうど中間という意味ではありません。ある意見とその正反対の意見を聞いた時に、そのどちらにも偏らず、なおかつどちらの意見にも理解を示すという意味です。

実践するのは難しい

考える

しかし、生きている人間である以上、多かれ少なかれ「自分の意見」は持っています。自分と同じ意見や、自分と同じ境遇の人には、どうしても共感を感じてしまいます。また、自分にとって好ましくない意見には、厳しい感想を抱きがちです。中庸の意味を理解しても、そのように行動するのはとても難しいでしょう。

しかし、中庸な人が議論の場にいると、冷静で客観的な立場からの発言で、議論がスムーズに回ります。すべての物事に対して中庸である事は難しいですが、あるひとつの分野でも中庸であれば、「この話をする時は○○さんにいてほしい」というように、信頼されるようになります。

中庸である人徳者というのは、このように「信頼がおける人」という意味です。このような人を目指しましょうと、孔子やアリストテレスが提唱しました。

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中庸がという言葉が使われる慣用句やことわざ・例文について

例文①勘君須択中庸去

勉強しすぎ

この例文は元田永孚(もとだながざね)という、幕末から明治にかけての武士であり儒学者の漢文の一節です。全文は以下の通りです。

「勇力男児斃勇力」「文明才子酔文明」「勘君須択中庸去」「天下萬機歸一誠」これは「勇猛果敢な男子は、その勇猛果敢さから戦死してしまう」「知識をため込むと、自分の才能に酔って知識に溺れてしまう」「だから君に中庸であることを勧めよう」「それはこの世でただ一つの誠の心です」という意味です。

元田永孚は、明治天皇の教育係でした。つまりこの漢文にある「君」は明治天皇という意味です。生涯を国家教育に捧げ、明治天皇の相談役となり、次第にその影響力を明治政府から警戒されます。しかし明治天皇は元田だけに偏ることなく、政府側にも信頼を示します。まさに中庸であることを体現しました。

例文②中庸の徳

徳

この例文は、先ほど語源で紹介した「論語」の一文です。孔子が言ったという「中庸の徳たるや、それ至れるかな」を、そのまま故事成語としたものです。中庸な人はとても徳が高い人です。

儒教では徳が高い人(穏やかで優れた人)を目指すための学問です。そのため儒教は優れた指導者になるべく、支配者階級の人々の教育に使われました。

中庸の徳を発揮するのは、聖人でも難しいことです。しかし、中庸の徳を発揮するには特別な学問を受ける必要はありません。ただそれを、全ての物事に対して永続的に発揮させる事は、非常に困難を極めます。なので儒教では「中庸の徳」が最高の概念としています。

例文③中庸の精神

ヨガ

誰でも気軽にネットにつなぐことができる現代社会は、情報過多な社会です。色んな意見や思想があふれ、それに簡単に触れる事ができます。しかしそれでも他者の意見に流される事無く、自分の意見を持ち続けられる事を「中庸の精神」と言います。

中庸の精神は、中国の孔子やギリシャのアリストテレスなどの古代の哲学者が「目指すべき精神」であると言っています。中庸の精神であれば、ぶれる事もなく、堂々とした穏やかな人でいられるでしょう。

中庸の精神を実践する事は並大抵の事ではありません。しかし中庸の精神を意識しながら考え、行動することによって、日々の安定につながるでしょう。

例文④中庸を取る

半分

「中庸を取る」と言うと、よく「どっちつかず」であるとか「中途半端である」「誰からも嫌われまいと立ち回る」というような誤解を受けます。本来は「どちらにも偏らないが、どちらにも理解を示す」という意味です。

しかし自分がそのつもりでも、周囲の人にとっては自分の意見に同調してくれる人を欲している場合があります。そのような人にとっては、中庸を取る人は「話は合わせてくれるけど、自分の味方をしてくれない人」としか映りません。かといって敵方に回るわけでもないので、「両方にいい顔する人」に見えてしまいます。

しかし、中庸を取る人に対して「この人は同調はしないけれど、否定せずに意見を聞いてくれる」と思えば、客観的で信用できる人物であると考える事もできます。そういう人が「徳が高い人」と言えるでしょう。

例文⑤中庸が最善

ニュース

この例文は、一時期ニュースでよく耳にした事がある人も多いでしょう。2015年に安倍総理大臣がイスラム諸国を訪問した時にしたスピーチに出てきた一文です。



情勢が不安定な中東の国々ですが、エジプトには「ハイルル・ウムーリ・アウサトハー」という言葉があります。これを日本語に訳すと「中庸が最善」という意味になります。同じく中庸を重んじる国として、中東の情勢の安定に協力するとスピーチしました。

また安倍総理大臣は、これ以降も、たびたびスピーチで「中庸が最善」という例文を使います。日本国内も、多様な価値観が認知されはじめています。中庸である事は、現代の日本人にとっても大事なことだと言えるでしょう。

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中庸という言葉の類義語について

中立

喧嘩

中立(ちゅうりつ)は中庸と同じ意味と思われがちですが、明確に意味が違います。中庸は、もし意見の対立があった時に「どちらの意見にも理解すること」ですが、中立は「どちらにも味方をしないこと」です。

例えば、「きのこの山」と「たけのこの里」の論争があった時に、中庸な人は「どちらも美味しいね」と言い、中立な人は「私はアルフォートが好きだから、どちらにも加勢しない」と全然別の第三勢力になります。

きのこ派・たけのこ派のどちらとも利害関係がない場合は、中庸と同じく客観的で冷静な立場です。しかし中立は、きのこ派が「味方してくれたら、アルフォート10枚あげる」と言えば「よし、きのこに加勢する」と言うでしょう。

中道

道路

中庸に似た意味の言葉に「中道(ちゅうどう)」があります。中庸は儒教の言葉ですが、中道は仏教の言葉です。意味は少し違っていて、中庸は相反する二つの中間にバランス良く調和している状態を表しますが、中道は相反する二つから離れ、超越した状態を指します。

先ほどの「きのこたけのこ戦争」で言えば、中道を行く人は「きのこの山もたけのこの里も、アルフォートだって、私にとっては全部同じチョコレートのお菓子。そこに優劣など存在しないし、好きも嫌いもない」という状態です。

政治の世界では、右派と左派どちらの思想にも偏らない事を「中道政治」と言いますが、これは本来の仏教用語とは意味が違います。仏教の中道は中庸よりもさらに達観するための修行です。仏教用語として広く使われているので、その細かい意味は宗派によって変わりますが、どこの宗派も、中道を行くことを最善とします。

中正

正しい

中正(ちゅうせい)という言葉は、二つのどちらにも偏らないという、中庸と同じ意味がありますが、それに「正しさ」という概念も加わります。つまり、中庸よりも、より公平さやフェアである事を強調した言葉です。

きのこたけのこで議論している時、誰かが「きのこ(たけのこ)なんて食べているやつの気がしれない」という言動をした時に、「その言い方は良くない」と言える中庸な人が、中正な人と言えます。

穏健

笑顔

穏健(おんけん)は、考え方や言動が穏やかで、行き過ぎずにしっかりとしている様子を表す言葉です。中庸とはほぼ同じ意味となりますが、「対義語」から考えると、若干のニュアンスの違いが見られます。

中庸の対義語は「極端」ですが、穏健の対義語は「過激」です。このことから、どちらかというと、中庸よりもより「穏やかさ」を強調した言葉です。きのこたけのこ戦争では「どちらも美味しいのだから、争うのはやめよう」という人でしょう。

節度

酒

節度とは「行き過ぎた言動をしない」という、中庸と似た意味を持つ言葉です。そして節度を保つように心がける事を「節制(せっせい)」と言います。これはどちらかというと、「欲望を意識的に抑える」というニュアンスも含みます。

「酔っぱらって迷惑をかけないように、お酒を飲み過ぎない」「健康のために規則正しい生活を心がける」という意識をもって生活する人が「節度がある人」という意味です。

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中庸という言葉の対義語について

極端

大はしゃぎ

中庸は「極端になってはいけない」という意味ですので、その反対語は「極端」です。「極端」は一般的な常識から極めて離れている様子や、物事が大きく偏っている様子をあらわしています。

基本的にネガティブな意味で使われます。もし他人から「極端だ」といわれるような事があれば、わが身を省みて、言動を改める必要があるでしょう。

過度

疲労

過度(かど)は、中庸の類語である「適度」の対義語にあたり、「程度が行き過ぎる」事を意味し、ネガティブなニュアンスがあります。何事も過度になると心身ともに悪影響を及ぼします。

貪欲

食べる

貪欲(どんよく)は「とても欲深い」という意味です。主に「食欲」や「物欲」「金銭欲」が極端に強く、次から次へと欲して満足しない様子を表します。「強欲(ごうよく)」とも言います。

仏教では「三毒」という善い心を邪魔する三つの煩悩の一つです。また「十悪」という十種類の罪の一つであり、古代中国では処罰の対象にもなっていました。またキリスト教のカトリックでは「七つの罪源」の一つとされ、罪を生む心であると言われています。

現在でも「貪欲」はネガティブな意味で使われている言葉ですが、「知識欲」や「好奇心」などに使われる場合はポジティブな意味に転換します。

執着

親権

執着(しゅうちゃく)は、ある物事に、心が強く捕らわれて、離れられない様子を表す言葉で、ネガティブなニュアンスがあります。仏教では執着心は修行の妨げになるとされています。また「愛情」や「貪欲」は執着を生みやすいとされています。

一般的に多少の執着は誰にでもある事ですが、極端に強い執着を持ってしまうと、今度は「それがないと日常生活がままならない」という「依存」となっています。やはり中庸である事が大事となるでしょう。

ただし、執着には「諦めない」というポジティブ意味も含まれている場合もあります。困難な目標でも、執念深く目指すことで、偉業を成し遂げることもあります。

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中庸は現代人に必要な心!中庸を目指そう

多様性

中庸は、何事も極端に走ることなく、バランスが良い事であると、紹介しました。これは価値観の多様性を受け入れる現代には必要な心と言えます。特に「正反対の意見を聞いて、どちらかに偏ることなく、どちらにも理解を示す」というあり方は、まさに「多様性を受け入れ認める」という意味になるでしょう。

中庸という言葉は紀元前の言葉ですが、その考え方はけっして「古臭いもの」ではありません。「温故知新」という言葉があるように、古い事を知ることによって新しい考え方が生まれる事は、よくあることです。

言葉で理解する事は簡単でも、実践する事はとても難しい「中庸」ですが、だからこそ紀元前から偉人たちが「中庸である事を目指せ」と語って来ました。多様性を認めて受け入れることを善とする現代社会の真っただ中を生きる私たちだからこそ、先人たちの言葉に耳に傾けてみましょう。

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