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目次

天下唯我独尊とお釈迦様

皆さんも一度は耳にしたことがあるであろう言葉「天上天下唯我独尊」まずはその意味をご紹介します。

天下唯我独尊とは

天上天下唯我独尊

これはお釈迦様が誕生した時、四方に七歩ずつ進んで右手で天を、左手で地を指さして唱えたという言葉です。天上天下唯我独尊の意味は、「世界の中で、私のみが唯一尊い存在である。」という意味に感じられます。本当の意味はこれからご紹介しますね!

何だか、自己中心的でお釈迦様がどんな気持ちで言ったのか気になりますね。本当の意味についてはじっくりご紹介します。

お釈迦様について

お釈迦様

お釈迦様の本名はゴーダマ・シッダールタでルンビニー、今のネパールで生まれました。誕生日は4月8日で、筆者も保育園でその日はお茶会と言ってお釈迦様の像の前でお茶とお菓子をたしなみました。そしてお釈迦様は仏教の開祖でもあります。

王子として裕福な家柄に生まれましたが心はいつも不安、不満で満たされることはなかったと言われています。人生には4つの苦しみ「生・老・病・死」があることに気づいて29歳のときに出家しました。

例えば今は若くてもいつかは老いて死んでしまう、年をとれば腰は曲がり病気にもなる。いざ死ぬとなった時にせっかく築いた地位や名誉、財産、妻や子供全てを置いていかねばならないのか!と苦しんだんだそうです。

そして難行、苦行の末に35歳で悟りを開き、皆を救済するために開いたのが仏教です。現代でも信仰者は大勢いますよね。難行苦行に関しても王子様なわけですから王様や王様の使いの者が説得して帰るようにと言ってもはねのけて絶対に帰らなかったとされています。

難行苦行で体は骨と皮だけになり、それでもまだ悟りを開けなかったとあって私はその意志の強さと悟りを開くことの難しさを痛感しました。
そしてついに悟りを開くことが出来て苦しんでいる人々に幸せを伝えねば!と立ち上がられたのです。

お釈迦様の伝説に嘘があった!

驚き

お釈迦様の誕生について有名な逸話があります。それは生まれるとすぐに7歩、歩いて右手を天に、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊」と言葉を発したという伝説です。実はこれは作り話で後世にお釈迦様が尊い存在であることを表現するために作られた逸話なんだとか。

とは言っても、昔の人々がお釈迦様を強く崇拝していたからこその逸話ですからとても大切な逸話なんですよね。ですがなぜ7歩?と不思議に思いませんか?それには六道輪廻が絡んでくるのです。

六道輪廻とは

六道輪廻

仏教では人間が悟りを開くまでに6つの世界を巡り続けると考えられていて、これを六道輪廻と言います。そして悟りを開いた者だけがこの6つの世界から抜け出して困ったり苦しむことのない世界(仏の世界)に進むことが出来るのです。

六道輪廻ってNARUTOや聖闘士星矢というアニメでも描かれていまして、聴覚・視覚・嗅覚など6つのものを失う世界とありました。どうなっちゃうの?と気になりますよね。六道輪廻をもっと詳しくまとめると

・天道

・人道

・修羅道

・畜生道

・餓鬼道

・地獄道 の6つが六道輪廻になります。

なぜ7歩なの?

話は戻って天上天下唯我独尊と言ってお釈迦様は7歩、歩いたわけですがその一歩一歩が別々な世界を意味していると考えられています。つまりはお釈迦様は悟りを開くまでに7つの世界を巡ってきたという解釈になるわけです。

普通の人間ならば六道輪廻という6つの世界を巡るわけですがお釈迦様はそれプラス、もう1つ未知の世界に行ったということになるのでお釈迦様の偉大さがとても込められている逸話なのです。7つ目の世界についてはいまだにはっきりとした見解は出ていません。

ですがお釈迦様について、に書いたように相当な時間と自分の身体を犠牲にしてやっと悟りを開いたということはその未知の7つ目の世界も相当な苦しみと葛藤があったのでしょうね。

天上天下唯我独尊の解釈

ちなみにこの天上天下唯我独尊もお釈迦様が話したわけではなくて、お釈迦様を崇めるために後世の人が作り出した言葉なんです。それでは天下唯我独尊の解釈を改めて確認していきましょう。

傲慢や自分勝手さを意味する場合

これは暴走族が特攻服に刺しゅうで入れたりしているのを見ればわかるように「俺以上に強いやつ、すげーやつはいねぇぜ!」という解釈ですね。筆者も中学生の頃、一体どういう意味なのかと刺しゅうを入れている先輩に聞いて上のような返答が返ってきました。

「あぁ、そうなんだ」と思ったのですが実際こういう解釈をしている人は多いと思います。

一人一人が尊い存在なのだ

 人間は一人一人が尊い存在で上も下もないんですよ!という解釈の仕方です。確かにそう言われるとお釈迦様の言葉だからと重みをとても感じますね。実際天は人の上に人を作らず…。という名言もありますからね。

現代では周りを見て自分より劣っていれば見下して、自分より恵まれていれば羨ましがり、妬む人が多いですからこのような意味だとしても「確かにな」と自分を見直すきっかけになりそうですね。

ですがどちらの解釈も間違っているという見解がありました。ただこの言葉はお釈迦様を尊ぶときに使う言葉なんだということだそうです。

天上天下唯我独尊の正しい意味はコレ

お待たせしました。それでは天上天下唯我独尊の正しい意味をご紹介します!間違っていた方は覚えてくださいね。

『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として生まれており、この命のまま尊い。』

なるほど

この言葉は「一番尊いのは自分だ、なぜなら自分という存在はこの世に一人だから」という解釈の1つ目のような考え方から自己中心・傍若無人と同じ意味で使われる事があります。

ただ本当のこの言葉を作りお釈迦様を崇めている人の伝えたいことは上に書いたように「自分という存在は誰にも変わることのできない人間として生まれており、この命のまま尊い」が本来の意味なのです。

例えば現代に置き換えると人間の命の尊さは能力や学歴、地位、名誉、財産があるなしに関わらず、そのままの自分が尊いんだよということを教えてくれている言葉なのです。要するに今の自分に何もなかろうともその自分が尊い・大切なんだよという事ですね。

今の現代は学歴や財産や名誉、外見などにとらわれて周りを見ては「自分は…。」と自己嫌悪に陥る人や自分の学歴や財産を自慢して羨ましがる人を上から見下ろす人もいるわけで、その事に対して天上天下唯我独尊という言葉が大切なんだと。

ですから例え周りより劣っていようと自分はオンリーワンの存在なのだから、他人と比較して傷ついたり羨ましがる必要は全くないし、他人より自分に優れているものがあったとしても自慢したりおごり高ぶるものではないんだという事に気付きなさいという意味なんですね!

天上天下唯我独尊には続きがある 三界皆苦 吾当安此

あまりにも良い言葉過ぎて仏教に興味がわいてきた筆者ですが、実はこの天上天下唯我独尊には続きがあったんです!次はその続きについてまとめていきたいと思います。これを「三界皆苦 吾当安此」と言います。

三界皆苦 吾当安此とは

教え

三界の意味はこちらです

一切衆生(しゅじょう)が、生まれ、また死んで往来する世界。欲界・色界・無色界の三つの世界。

一切衆生とはすべての人という意味で「三界皆苦」はすべての人は欲界・色界・無色界の三つの世界で苦しんでいるという意味になります。それではこの欲界・色界・無色界がどんな世界かをご説明しましょう。

欲界とは

欲

食欲や睡眠欲など、欲が盛んな世界の事です。人間には様々な欲がありますが、仏教では代表的なものを5つ挙げて五欲と呼びます。

財欲・色欲・飲食(おんじき)欲・名欲・睡眠欲の五つ。

それぞれを詳しく書いていくと

・財欲  お金や物がほしいという欲

・色欲  異性を求める欲

・飲食欲 食べたい、飲みたいという欲

・名欲  人からの名誉や称賛を求める欲

・睡眠欲 眠たい、楽がしたいという欲が五欲と呼ばれています。

ここで質問なのですがこうやって毎日欲を満たそうと考えていても「欲を満たした!」と思った事ありますか?例えば好きなだけご飯を食べても翌日にはお腹がすく、例え1日寝ていてもまた眠くなる、お金が欲しいという欲もなくなることはありませんよね。

このようにお金や名声を得ると一時的には満足してもまた「お金が欲しい、褒められたい」という感情はまた沸き起こるわけでお釈迦様はお経の中で

満たされない欲のために使いっ走りをさせられているのが人間であり、心からの満足がない

と名言されています。欲を満たさないと生きていけないにせよ、満たしきれない欲に私たちは振り回されて苦しんでいるのも現実です。なのでお釈迦様は欲界は苦しみの世界だ、と言われている訳なのです。納得ですね。

色界と無色界

色界は欲から離れた芸術の世界で、無色界も同じく欲から離れた哲学・思想の世界と言われています。いずれにせよどこまで探求しても見つからない答えを求め続けるという苦しみの世界なのです。芸術に完成はないですし、哲学に答えはないですからね。

これが三界皆苦 吾当比此の三界になります。仏教の世界では三界は苦しみの世界なんですね。そしてお釈迦様はある宣言をされました。

お釈迦様の宣言→吾当安比此

お釈迦様

「吾当安比此(吾「この釈迦」は此「三界で苦しむ人々」を安んずる「欲を満たすこととは異なる心からの満足に導く」)ために人間界に生まれて、これから教えを説くのだ」という宣言をされたのです。

お釈迦様伝えたいこと3つ

それでは最後にまとめとしてお釈迦様、天上天下唯我独尊という言葉を作った人が皆さんに伝えたいことを3つご紹介します。

結果には全て原因がある

お釈迦様は「結果に偶然はない。物事にはすべて原因がある」と教えています。これを仏教では「因果応報、カルマ」といいます。この世界では裕福で健康に生まれた人を見て「幸せだね」と言いますが「運」というものはないんだよとお釈迦様は言われています。

要するに良い原因が良い結果を生み出していて、悪い原因が悪い結果を生み出すのだから、もしも今自分が不幸だとするならばそれは私たち自身が原因を作りだしたからなわけで、だれのせいでもないんだよ。と伝えたいのです。

「良いことをしているのに不幸だよ」という人もいますよね。この場合お釈迦様は過去の悪いカルマを今刈り入れているんだと教えています。

これとは逆で悪い行いをしているのに経済的に恵まれていたり、社会的に高い地位の人もいますよね。それに対してもいつかは必ず不幸の種を実らせる事になるよとも教えています。深いですね。

例えば自分に悪意はないけれど、誰かを傷つけたり犠牲にしている事がありますよね。それもやがて必ず自分に返って来るということです。ということは日ごろの自分の行い次第で良くも悪くもなるよと言いたいんですね。

あらゆるものは絶えず姿・形を変え同じところに留まっていることはない

命があるものは誕生してやがて老いて死を迎えます。物体も年月の経過と共に壊れたり朽ちていきます。そして雄大な山でさえ長い月日で姿や形が変わり、人の心も変わり続けていく。これは諸行無常という教えです。諸行無常の意味はこちらです。

万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえないこと

諸行無常は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という風に平家物語で登場しています。

仏典では、三つの真理が説かれています。

  1. 悲しみは全てにやってくる。
  2. 永遠のものは何もない。
  3. 『我』さえも常に移ろっている。

要するに現在、経済的にも社会的地位にも恵まれていて家族全員が健康で幸せの真っただ中にいたとしても、このままの状態が永遠に続くとは限らないということです。将来にわたって幸せであり続けるには日ごろから良い思いをもって生きていくことが大切だと。

もしも今の状態に慢心して邪念や物欲に執着するとやがて不幸が訪れるよということなんですね。逆に今が不幸でも良い思いを持って生きていれば必ず幸せが訪れる時が来るよ!ということです。

陰と陽のバランスをとって生きること

陰

あらゆるものは一対になってバランスをとりながら成り立っています。例えば天と地、陸と海、男と女というようにですね。仏教では生きていく為の規則として陰陽という考え方があります。これを五戒八正道と言います。あらゆるものは、一対になってバランスをとりながら成り立っています。

最初の5つは陰の規則です。(五戒)

  1. 殺人など残酷な行為をしてはいけない。
  2. 盗んではいけない。
  3. 不貞などの性行為をしてはいけない。
  4. 嘘をついてはいけない。
  5. 麻薬や酒など心身に毒となるものに酔ってはいけない。

 つまりしてはいけない行為の事ですね。多くの人が幸せになれない理由に陰の法則(五戒)を実践するだけで陽の規則(八正道)の実践が不十分であると指摘しているのです。何も悪い事をしていないのに不幸と思っている人は良いこともしていないということですね。

これは読んでいて心ではっとしました。それと同時に「なるほどな」とも思いました。いずれにせよどちらも実践しないとバランスを崩してしまって物事が成就しないと言っているのです、

お釈迦様は、陽の規則『八正道』の教えを説いています。

  1. 正しい理解(正見)無常(常ではない=変化)を受け入れなければならない
  2. 正しい思考(正思惟)無害心(むがいしん)無瞋恚(むしんに)無貪欲(むどんよく)
  3. 正しい言葉(正語) 生きていく上で人と調和がとれ、平和になる言葉遣い
  4. 正しい命(正命)  人間の命に貢献すること、すなわち職業
  5. 正しい仕事(正業) 正しい行い
  6. 正しい努力(正精進)正しく努力すること
  7. 正しい気づき(正念)その瞬間瞬間の自分に気づく
  8. 正しい集中(正定) 正しく定まること、精神を統一して心を安定かさせること

単に言葉に従う・規則に従うことではなくて、日常的に毎日実践して習慣化することが大切なんだと教えています。 この八正道のどれかを行えば良い、意識すれば良いということではなくて全てが作用しあっているものですから1つ欠けてもだめなんですね。

まとめ

今回はお釈迦様について、お釈迦様の教えや伝えたいことなどたっぷりとまとめてきました。全てにおいて心にずしんと来ましたし、人生の考え方が一気に変わるような教えがたくさんありましたね!悪い事はしてなくても逆に良い事もしてないのでは意味がない…。なるほど。

昔の人がお釈迦様は偉大だと崇めていた理由がよくわかりましたね。この教えはずっと心に留めて常に思い出したいと思いました。少し難しいところもありましたが最終的な解釈は読んだ人それぞれだと思います。もし読んで何かに気づけたのなら筆者としては嬉しいです。

もし周りに「不幸だな」と言っている人がいたらぜひこの記事で学んだことを教えてあげて何か気づかせてあげてくださいね!

 

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